藤原家のために
モーゼの墓
皆さんもお分かりの通りです!
この国は今も昔も御霊と共に仲睦まじく、言霊の霊妙な働きによって霊験あらたかな國でございます。
外八洲と内八洲の違い
古神道の口伝では日本は内八洲(うちやしま)で世界の雛型であると、そして海外は外八洲(そとやしま)と言って内と外を分けて考える考え方が伝えられている。
信仰も同じで内外とパックリ分かれた視点を考察したいと思う、先ず最初に注意しておきたいのは現代の日本と言うよりは嘗ての日本、内八洲と言う認識を持つ頃の日本と海外の違いを明記してゆく。
外八洲→悪魔や悪神を作る
内八洲→悪神を作らない
外八洲→シンボルのような超越した存在を信仰対象とする(釈迦やイエスなど)
内八洲→祖先崇拝のため祖先が守護神であり、神の腹から生まれ神の腹に帰るとする考え。
外八洲→外在神(超越した存在を見い出す)
内八洲→内在神(内なる神を見い出す)
外八洲→人間は生まれながらに罪を持つと言う教え。
内八洲→人間の誕生は祝いであり、人々は過去と未來の許しを得て今を生きていると言う教え。
〈まとめ〉
私の印象では、偶像崇拝やシンボル崇拝が主流の海外では、人でなく超越した存在を神とする傾向が強く、そのため権威主義のように超越した存在に依存した考え方が多く、人は神より劣っていると言う劣等感が付いて回る。
ところが日本は、内在する神を見出だしたり、我々が神の子として神がどんなに素晴らしいかを示すように、神のように素晴らしく生きると言う教えがある。
さらに日本人は御天道様は見ていると言う教え、これは森羅万象に神宿ると言う自然崇拝による考えが定着したものである。
さらに祖先崇拝により、守護神の祖先に日々見守られながら生きていると言う考えが備わっているため、日本人は見えないところでも努力を怠らない。
そのため基本、自発的で自立した考えが本来の日本人の在り方で、家を出ても祖先の霊に見守られながら自然の神々と調和しながら共生するスキルを身に付けて生活する。
それが嘗ての日本人だったと私は認識している
現在ねじ曲げられた信仰とは、どのような部分かと言うことをココに明らかにしておこうと思う。
大学の教授が見事なまでに日本の文化の根幹を知らずして生きている、なので神社や神棚、神道が自然崇拝と祖先崇拝の二柱によって成り立っていることを知らぬまま、雰囲気が似ている道教と紐付けする学者が多い。
道教は現世利益で元々はチャイナの古代信仰である、そこに日本独自の祖先崇拝の教えは見当たらない、雰囲気と言うのは地蔵などの偶像に手を合わすことかも知れないが、そもそも日本は偶像崇拝ではない。
偶像崇拝は第45代聖武天皇が直々に偶像を建設させ、公共事業として発展させ更に疫病を抑えようとしたらしいが、そもそも現存する言い伝えといくつか矛盾している。
聖武天皇は様々な建設により、多くの大工や建築に携わる人々を率いて奈良の都を発展させようとしていた。
そんな中、天皇の後継者問題は深刻で世継ぎ問題で井上内親王は、天皇家と11系離れた夫を婿養子の形で婚姻し夫に光仁天皇となって貰っていた。
ところが井上内親王と皇子は策略にかかるように殺される、それにより怨念が疫病となり平城京を滅ぼし、怨霊となった井上内親王の怒りを沈めたものが御霊信仰であったと聞いている。
要は偶像崇拝を取り入れ災難をもたらした父(天皇)の犠牲になったのは、娘の井上内親王と世継ぎの皇太子である他戸親王(孫)が犠牲になったのである。
権威主義の教科書では父の聖武天皇を、疫病を抑えインフラ事業に功績を残したように称えるが、井上内親王に関しては大逆罪として伝えられている、当時の伊勢の斎王をしていた井上内親王と皇子を幽閉し不審な死を遂げているのである、そして治まらぬ井上内親王の怨霊を鎮めるために建てられた御霊社の数々が本当の歴史を物語っているのである。
さらに重要なことは、この時点で権威は継承したが血は直系でないということ、皇統に依存した者たちにはショックかも知れないが、これが本当の歴史だ、さらに井上内親王と同じ境遇は第33代推古天皇の時も同じ運命が重なっている。
又、同じ境遇は埴安姫も同様だ。
人によって伝えられ方は違うが、飛鳥昭雄先生によると「40代天皇まで神と付く人皆同じ」という名台詞があるが、その他に語呂合わせの56代天皇までのエピソードは皆同じという説もある。
日本の歴史は「見せながら隠す」このような文化であることを認識すべしなのだ。
話は反れたが、日本は仏教が入り偶像崇拝を取り入れたことにより、先住民の持つ日本の歴史と信仰にジワジワと外八洲の考えを取り入れてしまったのだ。
今と同じように海外文化を取り入れ過ぎて国を滅ぼすように、移民問題は過去も未来も課題なのだ。
しかし日本は何故か何時の時代も本物だけが残る!
それは何故かと言えば、日本人は内在する神を見出だすことにより、DNAに刻まれた日本人本来の在り方に辿り着くことが出来るからだ。
何故なら「偶然は神」「愛は神意である」日本は見える世界と見えない世界の調和により、必然と数奇な数々の導きにより必要な生き方と役割を果たして来たのである。
しかし、霊的世界に偶像を取り入れ、祖先の神々の守護する力が弱まった時、外八洲に棲む悪魔が世界を制覇しようと目論み動き出した。
欺瞞と嘘に満ちた終末に「真」が現れると、しかしそれは嘗ての日本。
国民一人一人が祖先を敬い祀り続けることこそが内八洲の文化であり、近代に失われた文化である。
霊的な力を味方にする生き方が、どれほど強いか今の日本人には分からない。
祖先を守護神とし、内在する神を見出だし、惡を蔓延らせない世の中にする、これこそが日本の信仰であり日本の在り方である。
ちょっと面白いことを言えば、日本人は祟り神も動かしてきた、天変地異や流行り病を起こす祟り神を、外八洲の遠くに移す方法も伝授されてきた。
これは村や町にそぐわない人を、その人に合った別の地に移しやるためにも使われて来た奥書である。
だから外八洲とは、そもそも昔の日本人が祟り神を移した先の野蛮人の世界と言う認識もあり、明治維新後の欧米化が進む日本人に「外八洲の野蛮人に、そのうち日本人はケツの毛まで抜かれてしまう!」と憂いでいた霊能者がいる。
外八洲も内八洲も祟り神の居ない素晴らしい世界を作る方法は、日本人と同じように内在神を持つ精神の拡張が求められるが、日本人は祖先崇拝を忘れ放棄してしまったために世界の惡の力が溢れかえった。
これを宗教家は世迷言と言うかも知れないが、事実は小説より奇なりなのである。
信じるかどうかはアナタ次第です!
熊野宮
お盆の過ごし方
コロナ毎日ですね、いかがお過ごしでしょうか?笑
謝恩詞
かけまくもかしこき
幽冥大神(かくりよおおかみ)の おおまえに かしこみかしこみもまをさく
大神の広き厚き恩頼(みたまのふゆ)によりて
食物(おすもの)、衣服(きもの)、住所(すみか)を初め、よろずの事等求(ことどももとむ)る任(まにま)に
令得給(えさしめたま)い
勤むる任(まにま)に
令成給(なさしめたま)い。
親族家族(うからやから)和(なご)び睦(むつ)び
日にけに心安く楽(たぬ)しく撫でたまい
守りたまいて
現世(うつしよ)を去りぬる後の魂(みたましい)も
永久(とこしへ)に治めたまい恵みたまい
幽冥(かくりよ)の制度(ならわし)のまにまに
神の列(みずら)にいれしめたまい
裔(うみのこ)の彌次々(いやつぎつぎ)をも守り幸(さきはへ)ぬべく穴ないたまい助けたまいて
現世(うつしよ)も
霊冥(かくりよ)も楽(たぬ)しみ
歓びの変わる事無く尽(つく)る事無く
恵みたまい
愛でしみたまはむ事を
嬉しみかたじけなみて
たたえごとおへまつらくを
御心(みこころ)も平和(おだひ)に聞食(きこしめせ)とかしこみかしこみまをす。
〈省略した場合〉
幽冥の大神憐給い恵み給い「かくりよのおおかみあわれみたまいめぐみたまい」
幸魂奇魂守り給い幸給い「さきみたまくしみたままもりたまいさきわえたまい」
神道部落
琉球
昨日は九州博物館で開催されている沖縄復帰50年記念特別展「琉球」を見に行ってきました。
一番素敵だなぁ~♪と思ったのは!
↑こちらの空色地花籠燕文様紅型苧麻衣装でした!
面白いですね、空色地の色が好きです、さらに花籠に溢れるお花が素敵で、苧麻「ラミー」のお衣装のようです。
きっと麻で出来ているから通気性が良くて、着心地満点なんだろうと思ってしまいました。
今日見ていただいた「玉ハベル」の「ハベル」
は琉球の古語で「蝶」を意味し、『おもろさうし』巻13にはハベル=蝶が、守り神たる「 おなり神」の比喩として謡われています。
※「おもろそうし」とは
琉球王国第4代尚清王代の嘉靖10年(1531年)
から尚豊王代の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌集。歌を意味する「おもろ」は「思い」 と同源の語で、そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられており、「そうし」を漢字表記すれば「草紙」 となる。全22巻。 https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%81%8A%E3%82%82%E3%82%8D% E3%81%95%E3%81%86%E3%81%97
※「おなり神」とは
おなり神(おなりがみ)またはをなり神(をなりがみ)とは、妹(
をなり/おなり/うない)が兄(えけり/えーり)を霊的に守護すると考え、 妹の霊力を信仰する沖縄地方の信仰である。 かつて琉球王国の版図であった奄美から先島まで広く見られるが、唯一宮古島では、 おなり神信仰は希薄となっている。
柳田國男は、女性の霊的な力によって、妹が兄を守ったり、
姉が弟を守ったりする精神的な力による支配を「妹の力」と述べ、これをおなり神信仰に当てはめた。1927年伊波普猷は柳田の指摘を発展させ、琉球のおなり神信仰が姉妹と兄弟の家族関係だけでなく、王とその姉妹である「聞得大君」 によって支えられたと指摘した。
現代では琉球の信仰(琉球神道)
の一要素として捉えられているが、ウナリ神信仰を基盤とした祭政 一致社会は、日本本土の邪馬台国や古奄美など広範に見られる。
日本本土でずいぶん前に失われたものが、
ここにはまだ息づいていますね~
こんな内容です、ということは!
もっと勉強せねば、、、( ̄^ ̄)ゞ御意!
沖縄のお客様が多いし、これは勉強の範囲を広げろと言うことだと思いました。
ちなみに、久米を「くにんだ」と読むことを知り『米』って「にん」と読むのー!?と同行していた友人と驚きました。
あと祭りの模様が映像で流されていたのですが、それを見ている度に、沖縄のお客様から教えて貰った火の神様を「ヒヌカンと呼ぶ」ことを、何度も何度もヒヌカン♪ヒヌカン♪と頭の中に出てきました。
という訳で、とても勉強になった一日でした。
九州博物館の目玉と言えば、模造品を触ったり出来るコーナーが4階にあります。
私は篆書の印を、ずっしりしてました!
ぜひ九州博物館にお越しの際は模造品のクオリティの高さを味わいに行って下さいね!
素晴らしいです友人たちに感謝
さて、気になる動画です!
途中のナオライオンさんの友人の水道事業の話がとても参考になります。
是非みなさんお目通しを♪
お次、これは知っておいた方が良いですよ!NHKの受信料のことについて是非ご覧下さいませ
萌絵ちゃんの今日の動画は必見です!!!