八咫烏

真ん中がない日本社会、右か左か、上か下か、悪か善か、日本の歴史か中国の歴史か?

 

古事記ウエツフミか?

 

ウエツフミって、解読も定かか分からない書物までぶっ飛んで日本を語るとかって、そのうちカタカムナやホツマも出てきそう。

 

だけど、ちょっと待って!

 

なんで中間を知ろうとしないの?

 

先代旧事本紀があるじゃないですか、ちょうど翻訳も進んでいるし、序文に書かれている偽書をほのめかす部分が懸念されるなら、実存する証拠と照合出来るモノを調べれば本物の歴史書であることが証明されますよね!

 

国造本紀の人の移動、クニノミヤツコとしての動きや、そして国造りに携わった人々がナント1300年~1500年前の戸籍と照合出来ます。

 

と、言うことはファンタジーではなくリアルな歴史書として認定出来ます。

 

それも古事記日本書紀よりもリアルな歴史書として唯一証明出来るモノです、ところがそれを認められない理由は!

 

まさに、年代。

 

調べれば調べるほど「え~っ!マジ~!日本の歴史って1000年くらいサバ読んでいるんちゃうん」みたいな。

 

困りますよね、世界最古を言い張りたい訳ですから国造本紀がいくら正しくとも認めたくないでしょうね。

 

日本だけでなく中国までサバ読み大好きなモノだから、きちんと調べられず人々の歴史は葬られたままになってしまう。

 

これが現実なんですよね~!

 

ホント困ったもんだです、ちなみに八咫烏のことも子世代の若者たちがメチャメチャ調べていて、本当に素晴らしいですね。

 

 
↑の動画は下鴨神社上賀茂神社・高鴨神社から深掘りしています。
 
アジスキタカヒコネと事代主と大歳神の同一の線は素晴らしいですね、古神道の先生方もヨカヨカと頷かれる内容です。
 
古神道の人は当然と仰ると思います、ちなみにスサノオニギハヤヒが同一として出てくる場合もあります。
 
正確に説明すると、ニギハヤヒを表舞台から隠すためにスサノオノミコトを前に出したと言う線もあると言うことです。
 
もう1つ言うとニギハヤヒ世襲名説があり、最初のニギハヤヒ世襲したのはスサノオ、その後に大歳神もニギハヤヒを襲名したと。
 
そして最後に、ニギハヤヒ世襲したのが萬幡豊秋津姫であると言うのが口伝です。
 
ちなみにアジスキタカヒコネ=事代主=大歳神と一緒に合祀されている下照姫=高照姫は「○○の妹」として紹介されていますが。
 
古代書物は「妹=妻(愛する人)」と言うのが本来の解釈です。
 
姉と言う解釈はなく、むしろ長女のようなお姉さんは兄として明記されていることもあります。
 
古代は娘であるのか、年配の女性を刀彌(トメ)と表記していたり、とにかく妻や愛する人を「妹」として書かれていたのが現代と違うところです。
 
妹だから兄妹と考えるのは、現代人のこじつけであり多くの古文書から、その時代の背景を學ぶことが大切だと思います。
 
私も随分この兄妹と言うニュアンスに囚われ歴史を紐解けなかったのですが、この兄妹と言うイメージを持つ時代の人の改竄も加わって、日本の歴史は余計にややこしくなったと言うのが私の見解です。
 
ちなみに神武も!?
 
磐余尊が何故か磐余彦に変わっているんです!
 
イヨがイワレヒコにチェンジしています、文献を素直に読めば、ある日ふと東に行くと思い立ったのは磐余尊であり、海路の道案内をしたのが椎根津彦(珍彦)です。
 
椎根津彦を紐解くと、こちらもニギハヤヒに関連します、こちらの詳しい話は今回は省きます。
 
磐余尊が何故イワレヒコに変化したのか?は分かりません。しかし、この神武の物語も数々の日本神話を1つの定説にしたのは160年前からです。
 
ちなみに日本の古代は末子相続です、長男世襲制は大陸思想(中国内陸部の騎馬民族)が日本に入った証拠です。
 
ここで下照姫の名前が高照姫と同一する理由を説明すると、末子相続のように末の子が気高い役割りを果たす、そのような印象から関連付けられたのか定かではないですが、神社でも上座と下座、上宮や下宮がある場合、重要性を重んじているのは「下」の方です。
 
要は末子でありながら重要な役割を果たすと言う、責任あるポジションが「下」に位置するという独特な考えだったのかと思います。
 
下宮で重要な神事をするというか、高貴な役割を示しているんだと思います。
 
 
ちなみに磐余彦については不思議ですね、重要なのは彦火々出見狭野尊の方の諡です。
 
こちらは表の記述であれば祖父の山幸彦になりますかね、同一の名前です。
 
もう1つの諡では若御毛沼(ワカミケヌ)または豊御毛沼(トヨミケヌ)と書かれています、読みは「ミケヌ」また口伝では「ミケーヌ」です。
 
ミケヌと同じ呼ばれ方の諡を持つのがスサノオノミコトです「神祖熊野大神奇御食野尊(カムロギクマノオオカミクシミケヌノミコト)」です。
 
ニギハヤヒの表記は饒速日と書かれますが「饒」は人々に豊かさを与えた者と言う意味もあります。
 
またニギハヤヒの表記に邇芸速日もありますが「邇芸」とは修練によって芸や文武両道など、また技術等をいち早く身に付けることを差し、それはニギハヤヒの得意体質やニギハヤヒを示しているのではなく、多くの日本人が飛躍的に向上し文化芸術などのモノが発展したと考えるべきかと思います。
 
国民の食べ物を豊かにした王であったり、国民のモノづくり等の技術の向上を導いた王であったと考えるべきです。
 
 
とにかく、妹なのか妻であるのか?など明確さもなければ、神話の神と人が同一した祭神文化ですので、あくまでも祭神は土着の氏子と祖先の文化で祖先の系統を知るためのモノと考えるのがベターです。
 
 
例え話で分かりやすく言えば「氏子の賀茂さんの祖先はアジスキタカヒコネと言う物部の子孫で、だから物部の神さまのニギハヤヒを祀っている」と考えるのが妥当です。
 
そしてそれが物部を前に出しちゃ役人に目をつけられるから、アジスキタカヒコネを事代主と言って祀ったり、大歳神として祀ったりしていると。
 
物部を前面に出せない理由が、歴史をややこしくしている理由です。
 
 
 年代の不都合と物部の不都合そして、個人的には神話は作られたモノで日本の神話であるかも証明出来ない。
 
なぜなら世界の神話と類似点が多すぎるから、しかし人々の歴史は世界で一番長い歴史の証明が出来る国。
 
それも庶民の歴史です!
 
証拠の出せる国、それが日本の素晴らしいところです、名家と呼ばれる畿内の藤原家よりも普通の庶民の方が確かな歴史があります。
 
それを知ることが大事です!うさぎクッキー