飛虎将軍

「飛虎」は、戦闘機を意味し、
「将軍」は、台湾では神として祀られる勇士への尊称らしい。

(茨城県水戸市出身の軍人杉浦茂峰さん)
戦時中自分の乗った飛行機が村に墜落するのを避けるがために、杉浦少尉は身を犠牲にして村を守りました。
 
この武士道ならではの精神を讃え、台湾の現地では飛虎将軍廊が設けられ、いつまでも慕われ大切に祀られているお話があります。
 
そして最後に台湾では
 
「杉浦少尉は命をかけ村を守った。
今度はわれわれが神となった少尉を守る」

これは飛虎将軍廟を長年管理している曹芳さんの言葉です。
 
 
と、凄く胸に突き刺さるお話でした。
 
東南アジアで日本の英霊を偲ぶ話は沢山存在します、とくに台湾は「我々は日本人だった」と熱く曾ての日本を誇り、今も尚親しんで下さる高齢者が多いです。
 
ところが戦後のGHQ神道を禁じられた政策により、今の日本人は「御霊」文化を知りません。
 
英霊に携わっている僧侶ですら靖国参拝に訪れません。
 
日本人が戦後、大きく変わってしまった解釈は「御霊」に対する価値観が皆無であることが理由の一つに上げられます。
 
戦後日本社会での意識は、死者は極楽浄土の道へ歩まれると言う仏教的思想です。
 
実は、古代から日本の文化は亡くなられた方の御霊は、私たちを見守る神のような存在となり。身近なところで肌で感じながら、子孫が人として踏み行いを間違わぬように生きるために、御霊を降臨して行ってきた作法の一つです。
 
降臨する場所が、神棚であったり、神社であったり、お墓であったり、依り代となるモノに降りて頂く考えから始まっています。
 
極楽浄土のようなファンタジーのような世界に行ってしまう考えではなく、人とあの世の隔離した考え方ではなく。
 
姿は亡くても身近に感じ「感謝しながら生きる」そういった生き方こそが日本の文化で培われたことです。
 
ですから、霊の存在を否定することは本来日本の文化を否定していることになります。
 
そして霊的存在を大切にする文化の上で、葬儀仏教が繁栄しておきながら、御霊文化を尊重しないことは、檀家のご先祖と子孫の大切な繋がりを断ってしまうのと同じことなのです。
 
ですからお通夜や葬儀では神式では、亡くなられた御霊が産土神の腹に還り、そして子孫たちを見守る御座におさまり、子孫たちを温かく見守って頂けるように祈りの言霊を奏上するのです。
 
では、日本の仏教は日本の神道と融合し、どのように変わったか?
 
むしろ霊的存在は、無縁仏などのように無念の思いや、そこに残る常念を浄化するための御経が発展しました。
 
明治以前や神道の残る戦前は、祖先崇拝である供養や御霊文化は民間で行い。
 
浄化や鎮魂を目的とするところに、古神道や修験、密教と仏教が存在したと言えるのです。
 
 
今の社会では、そう言った認識も薄れ、寺に供養をすべて委ね。
 
そして御霊文化自体に関心がありません。
 
ですから英霊に携わる人も、御霊に携わる僧侶ですら!
 
靖国神社に行くと言うことの意義が、分からないと言えるのではないでしょうか。
 
 
台湾の人たちの英霊を偲ぶ想いに負けないほどの日本人でありたい!と願うのであれば、日本の継承文化に対する認識を深めて頂きたいと思います。
 
 
 
 
 
以下は、神道の帰幽奏上の例の一つです、解りやすい言葉にしてあります。
 
民間の通夜で奏上されてきた一般的なモノです、日本の継承文化や日本の「心」を是非感じてみて下さい。
 
『産土大神さまのみ氏子であります○○○○は何時を一世の限りとして、○歳を持ちて現世を離れ、いま身退りました。 生と死、太古から避けて通ることの出来ない大きな道ではありますが、産土神さまの御分霊を分けて頂いて、この世のため、立派な神のみ子として生をうけました○○は、この世に在る時は神の正道をふみ行い、忠実に世を送り、心は直く、行いは正しくして、世のため人のために励んでおりましたが、人の世の習いとはいえ、思いがけない過ちを犯した罪穢れがありましたら、何卒その罪穢れを祓い浄めて下さい。故人がこの世に在った時の、善い行いは褒めて下さいませ。祓え戸の大神さまの「みちから」によって清らかになった故人の御霊は、元の畏こき産土大神さまの、身元に再び帰らせて頂きまして、今日から祖先の御霊の神々と共に、世を守り家を守る御座に列ねて頂き、永遠にその御霊は消え亡ぶることなく、遠く永く鎮まらせて下さいませと謹んで申し上げます
 
英霊の魂は、祈りによって救われるのです。
 
英霊の降りる場所が靖国神社です。日本