神道部落

部落解放運動とか皆さんご存知ですか?
少しデリケートな問題として知られていませんが、身分制度と言うのを一方的な解釈でなく、様々な背景があったことをお伝えしたいと思い書き綴ります。
 
江戸時代に作られた身分制度士農工商・エタ・非人」この「エタ」そして「非人」が差別されて来ました。
 
非人と言うのは、もはや犯罪や狂暴者としての扱いですが、「エタ」と言うのは少し違います。
 
どちらかと言えば政治的に扱いづらい人々、だから橋の無い川で「エタ」が住む地域は隔離されて来た。
 
そして隔離されて来たからこそ、残せてきた日本の大切な文化が、実はここにあるのです。クローバー
 
 
先ず、徳川家は浄土宗の嫁を貰い、江戸時代は仏教が発展しました。
 
○○権現とか聞いたことがありますよね、熊野権現春日権現など、要は「権現」と言う仏教用語を用いないといけないほど神道に対する圧力がありました。
 
なので熊野権現熊野神社のことです。
 
そのくらい日本の元々の文化である神道が抑圧された時代は長かったのです、そして神道部落は「エタ」と言う身分に落とされた。
 
しかし、天皇の棺を持てるのは「エタ」の人だけ、大事な棺ですよ!
 
そこには本来大きな意味がありました。
 
 
より時代を遡って説明します!上差し
 
実は神武天皇の時代から、臣民(国民)は大御宝です。
 
天皇は大御宝を愛し、大御宝の幸せを祈る特別な存在です。
 
だから日本には身分はありません!
 
身分も階級も格差もなく、みんな大御宝でした。
 
みんな「神の腹から産まれ、神の腹に還る」と教えられてきてますから。
 
だから、官僚だろうが、総代表であろうが、なんであろうが堂々と対等にハッキリとモノを言ってきたのです。
 
政治でも、領主でも、間違っている者には「違う」とハッキリ言えたんですね(私のように)、そう言ったことは記述にも残っていますよ。
 
とくに神武の代から40代天皇まで、政治祭祀両権掌握者であった物部一族などからしたら、建国から国を治めてきたわけですから、黙っちゃいませんよ!
 
 
ところが仏教は大陸を渡り様々な儒教なども経由し入って来ていますので、階級などの大陸の思想が強くありました。
 
鎌倉辺りからメキメキ仏教に力を入れます!
 
江戸時代、徳川将軍家が仏教とくに浄土宗を贔屓にしていたので、そりゃハッキリ物申したり、将軍家にも楯突くような、立派な神道一族は煩わしかった訳です。
 
身分を落とし隔離し、なるべくおとなしい一般庶民に関わらないようにする必要があったわけです。
 
ちなみに浄土宗は、阿弥陀様がなんでも叶えて下さるそうで「墓には霊はありません、あらゆる霊魂は阿弥陀様がすべて極楽浄土に運んで下さる」と、まんまと洗脳された将軍は知恩院建設に全国に御触れを出しました。
 
家の身分を誇示するために、ウチのご先祖も当時多額の寄付をして檀家に入りましたよ!
私の代まで、知恩院に室町から続く系図があると言われてきましたから!
 
実際確認したら、ありませんし探しても貰えませんでしたけどね。真顔
 
我が家だけでなく、古い家には知恩院に当時の通貨で百万相当の寄付をさせられ、知恩院開設の記念品の「扇」などが残っています。
 
そう言った背景から生粋の神道を守ってきた方が、神道部落として「エタ」と言う身分を強いられ苦しい時代を乗り越えてきたわけなのです。
 
そのお陰と言えば申し訳ないのですが、古式の浦安舞や神事が無事残りました。
 
貴重な神事や舞が、しっかりと受け継がれて来たのです。
 
明治の橿原神宮は、そんな有数の神道部落の土地の提供があって建てられた神宮ですから、部落が解放され「守りべくことは守り抜いた」人々のお宮でもあります。
 
 
戦前戦後のような治安の悪い地域を指して部落と呼んで来ましたが、江戸時代の神道部落は意味が違います。
 
大正生まれの祖母ですら差別してました、私は「頭の悪い金持ちのお嬢が差別するんやで、おばあちゃん恥ずかしいわ!」と言ってやりました!チョキ
 
現に、神道部落出身の人は頭の良い賢い人ばかりですよ、みんな昭和の時代に医者になったり、偉い人になっています。
 
そして、明治政府の強制的な一神教政策に加盟しなかった古神道も、明治天皇より宗教として古式を存続しますが、大正から昭和初期生まれの宮司さんは無知なため、明治の政策を知りません。
 
また江戸時代の身分制度の背景も知らないため、部落だから神社庁に加盟できないとか、神社庁にも加盟できない神社と言ったり見下していました。
 
本当に恥ずかしい!
 
神社庁の方が、よっぽど出来損ないの組織です!
 
霊的祭事は受け継がれず、昼の祭りと形式だけ。
 
地域の斎主家系は解体し、縁も所縁もないサラリーマン宮司に沢山の神社を兼任させ、ご主祭神を変え、歴史も継承しない。
 
だから神棚の祀り方もムチャクチャでも気付かない、祀り方の意味も分からない人が多い。
 
何を勉強して宮司になっているんでしょうね?
 
神事の祭りの足の運びや型だけを学んでいるようです、あと難しい祝詞とかかな?
 
一部の古神道だけで伝えられてきた、非科学的なことは一切触れないから、何故?神は見たり触れたりしないものか?
 
根本的なことが継承されていないのが現実です。
 
祖先崇拝や神棚のことで、一体何人の神職さんにガツンと怒ってきたことか!笑
 
 
※明治政府は大陸から忍び寄せる白人の植民地支配を懸念し、日本を一つの国にする政策を行って来ました。当時土着信仰だった其々の信仰から、国民の意識を一つにするために一神教政策を行いました。
 
それにより祭神は変えられ、霊的な神憑りや幽斎神事などを廃止し、昼の祭りに徹し、各地世襲制だった神主家系や斎主家系を解体しました。
 
『昔からの継承をしないとは何事か!』
 
その政策に従えない神社は立ち上がります、それを危惧した明治天皇は「宗教」と言う形で存続させることを提案し、それに従い存続してきた神社は神社庁に加盟せず各々の教会としてやってきたのです。
 
有名なところで出雲大社出雲教石切神社の石切教など、そう言った背景の中、古式を重んじ伝統と継承文化を守ってきたのです。
 
ちなみに神社庁の前身は大日本皇道立教会です、創価学会や他の新興宗教の前身でもあります。
 

 
差別をする人は日本人ではありません!
 
在日韓国人であろうが、在日中国人であろうが、何処の国であろうが、日本の継承文化を愛して下さる人は、すべて大御宝です。
 
神社一つとっても、ゾウの彫刻に、イスラエルの様式の建て方や祭りに、ベトナム雅楽もあり、韓国の貴族のような履物に、唐の召し物に、色んな要素があるでしょう。
 
だから差別なんてする人は、日本にいても日本人とは言えません!
 
そして、自然崇拝と祖先崇拝によって、自然を愛し共生し。
ルーツを大切にすることで一族の誇りある生き方が、権力に媚ない生き方となり故郷を守る力となるのです。
 
 
本当の文化を忘れないこと!
 
大切なことが學びです!
 
「中(ナカ)今(イマ)を生きる私たちは、祖先から未來との中間で許されながら生きている」と言うことの教え。
 
「言霊」の教え、「森羅万象」の教え、そして「生きとし生けるものすべて」の教え。
 
美しい日本の心を伝えてゆきましょう。日本