このお盆などを前に、「仏教では御坊さんに御経を唱えて頂きますが、神道ではどのようにすれば良いですか?」と聞かれます。
本来宗教ではなく、古来から日本人が普通に行って来たことが、現代神式など言われているのです。
元々先祖供養は日本の文化の一つ、祖霊祭は各地そこの風習で各家々が普通に行ってきたものです。
今の四十九日法要も、元々五十日祭の合祀祭が仏教式法要に変りました。
仏教には根本的に死者に対する供養や祖先崇拝と言う考えはありません、現世利益を求め生きるための経典です。
祖霊祭の作法は、その土地や家柄の伝承により様々ですが、基本的に日本人はご先祖さまを身近に感じ感謝するという独特の感性があります。
精霊馬の茄子と胡瓜を馬や牛に見立てて、ご先祖を御迎えし、御供え物をして、霊的な存在を肌で感じながら感謝して過ごすことが祖霊祭の過ごし方です。
霊的存在を迎え入れ神秘的に過ごす(笑)
少しオーバーですが、お盆の提灯や行灯など明かりを灯し神秘的にお祀りしますね。
「明」と言う字が物語っていますが「日と月」で「神」と言う考え方から、特別な明かりなどに対して、あの世で神となった霊魂や霊的な存在を感じ安心を頂いているのかも知れません。
色んな作法がありますが、霊的存在を認めた社会が日本古来から培っている伝承と言えるのではないでしょうか。
神社にある屋根のついた祠↑のようなものは地域によって違いますが、私が一番見てきて多かったのが斎主家系のお墓です。
地域によって氏子たちの墓もあります。
本来お扉の中には、霊の依り代である「短刀」又は「鏡」が納められ、神棚や本殿同様にお扉は閉めてお祀りするものです。
江戸後期の一揆や、戦時中の物不足の間にそのような金物が使われ放置され、戦後の混乱期に偶像が入れられたり、別の意味合いの祠として現存しているものばかりです。
次に神道が何故?「宗教」になってしまったのか?
明治政府の政策により一神教化は進みました、そして霊的な祭事である幽祭神事や夜の祭事を閉鎖し、昼のお祭りを全国で統一しようとしました。
一神教化することで各地其々に伝わる伝承を絶ち、各地の斎主家系は解体されました。
昔からの仕来りや、大切な継承文化を守りたい神社は神社庁に属せず対立姿勢になりました。
このままではいけない!と言うことで、明治天皇により「宗教化」することで古来からの祭事を守ってきたのです。
そのために宗教となっただけなのです!
お正月に門松や鏡餅、お盆にはご先祖供養、これって普通のことですよね。
宗教のために行っていると意識する人は先ずいません、何故なら日本の文化で風習として普通に行われてきたからです。
神棚も祖霊祭も本来は同じ、たまたま今の時代に仏教が主流になってしまい、こう言った話が出来る人が少なくなってしまったからです。
ご先祖は、どんなに苦しい時代も私達未來のために子孫を残し、子孫繁栄のために祖霊祭を行ってきたのです。
なんだかテーマを決めず書きましたら、この季節柄らしい記事になってしまいました。
『子孫血族者共を守る御霊と令在まして
夜は夜の事々 昼は昼の事々
守り導きたまへと禮び拝み奉らくと申し上げます』