久留米の諏訪神社
※今の学者の多くは160年前の学者の注意書きを真に受けて解釈している、様々な文献を漁ってみると例えば「纏向日代朝は景行である」と景行と記されているだけで推測なのか伝承なのかは定かではないのだ。しかし今回「伊香色男と開化天皇は同一」であると言うのは、そのように脚注に書かれていることから伊香色男と開化天皇は同一として理解した書き方をしている。あくまでも、私の希望的観測ではなく文献の指示に従った書き方をしたいる。
伊香色謎命 (いかがしこめのみこと)
孝元天皇妃。開化天皇皇后。崇神天皇の母。
孝元七年二月二日、天皇の妃として彦太忍信命(武内宿禰の祖父)を生んだとあり、開化六年一月、皇后となり、御間城入彦五十瓊殖天皇を生んだとある。開化天皇は庶母と結婚したのである。
崇神天皇即位前紀に、天皇の母を伊香色謎命といい、物部氏の遠祖・大綜麻杵の娘であるとみえる。(『紀』)
古事記にも同様な記載があるが、名は伊迦賀色許売という表記である。
『旧』天孫本紀は、大綜麻杵大臣の子で、母は高屋阿波良姫といい、崇神天皇の時代、皇太后の尊号を、垂仁天皇の時代、太皇太后の尊号を贈られたという。
伊香色雄命 (いかがしこおのみこと)
崇神七年八月七日、しばしば災害のおこることを憂いていた天皇に、穂積臣の遠祖・大水口宿禰ら三人が奏上するに、各人の夢に貴人が現われ、大田田根子をもって大物主大神の祭主とし、市磯長尾市をもって倭大国魂神の祭主とすれば天下は太平となるだろうと告げられたことを述べた。大田田根子を探し求めたところ、その父は大物主であると答えたので、天皇は「朕、栄楽えむとするかな」と喜び、物部連の祖である伊香色雄を神班物者(神に捧げ物を分つ役)に任じた。
また、同七年十一月十三日、伊香色雄に命じて物部の八十手に作らせた祭神の物(幣帛)を以って、大物主大神と倭大国魂神を祭り、その後八十万の群神を祭ったところ、疫病は止んで国内は鎮まったという。(『紀』)
『記』崇神段には、伊迦賀色許男に命じて天の八十平瓮を作り天神地祇の社を定めたとする記事がある。
『旧』天孫本紀は、伊香色謎命の弟で、父は大綜杵命、母は高屋阿波良姫であるとする。
開化天皇の時代に大臣になり、崇神天皇の時代、神物を班たしめ、天社・国社を定め、物部八十手の作った祭神の供物をもって、八十万の群神を祭った。そのとき布都大神を祀る社を石上邑に遷し、天璽瑞宝も合わせて祀って、この総称である「石上大神」を氏神としたという。
山代県主の祖長溝の娘・直木姫、荒姫、および玉手姫、また、倭志紀彦の娘・真鳥姫を娶って、合計七男を生んだとある。
天皇本紀にも、開化八年二月に大臣に任じられたことがみえる。
『録』では、巫部宿禰など、多くの物部氏族がその祖として伊香色雄の名前を挙げており、「物部八十氏」を結ぶ系譜上重要な人物。

いつも本当にありがとうございます<(_ _*)>
