色男と同一神
イカガシキオとイカガシコメのことを、なんとわたくし以前はいかがわしい名前と申しておりました。
しかし今は反省しております、間違えておりました。
江戸時代の当て字ほどいい加減なものは無く、古文書や人々の苗字にしても当て字をそのまま使うケースが多く、やはり日本人は古代から漢字よりもカナの読みを大切にしていたのではないか?と推測しております。
そうは言っても漢字も意味あって用いられる場合もありますので、その意味合いや解釈の仕方は、その人その人の心根次第だということですが、やはり見落としてはいけません。
イカガシキオは漢字では伊香色男または伊香賀色雄と表記されている所が多ございます、イカガシコメに関しては伊香色女または伊香賀色謎となっている場合がございます。
さらに物部に詳しい人の話でも、この二人は兄妹説もあれば姉弟説もあり、夫婦説もあれば親子説もございます。
なので余計にいかがわしい…等と思ってしまいましたが!
色男や色女と付くほど魅力的な御方であったのだと、どれだけステキだったかを表していることに着目しなければなりません。
そしてさらに、垂仁天皇の皇子の五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は石田君の始祖として祭られている神様ですが、イカガシキオとイカタラシヒコは同一という説がございます。
関西では色男という言葉はあまり使いません、逆に地元で愛される言葉は「あんた女ったらしやなぁ」とか「男ったらしやろ」などのように、人を誑し込むほどの色男(色女)を意味します。
なので物部の始祖として祭られているのはニギハヤヒまたはイカガシキオが多いことから、地域によっては当て字が進化したのでは?と言うような説もございます。
そうなると、開花天皇時と垂仁天皇とでは年代も違うし、親子姉弟の関係性もあるではないか!と歴史が詳しい人から反論されそうですが、当blogでは教科書より史実を探求しておりますので入り口は系図や信仰から調べていることをご理解いただきたいと思います。
そもそも歴史や年代と言っても、淡海三船(722―785)が漢風諡号を選定したことは歴史認識のある方ならご存知と思われますが、昔から神武天皇は「神武」と呼ばれていたのではなく淡海三船が神武天皇から光仁天皇までを後付けしたものです。
第73世武内宿禰こと竹内陸奏氏の話にも淡海三船のことはよく出て来ますが、49代目光仁天皇に関しては井上内親王と聖武天皇ファミリーのことをぼやかしています。
なぜ?ぼやかしているかと言いますと、ムッチャン先生の話だと光仁天皇は天皇になる器ではなかったと、平社員が天皇に大抜擢されたと、まるて見てきたかのように誇張され話をされますが、一番この代で触れられなければならないことが触れられていません。
先ずは聖武天皇の皇女である井上内親王のところに婿入りした形であること、天皇直系の井上内親王と11系も離れた存在が光仁天皇であること、そして伊勢の斎王を勤めていた井上内親王は謀反の疑いによって皇子と幽閉され殺害されたこと。
ムッチャン先生はこのことを省略して光仁天皇の後妻である百済から来た姫のこと、そして百済の姫との間に出来た皇子が桓武天皇であることをメインに解説されます。
ま、現天皇の北朝の血筋は桓武からですから、百済の姫のことを誇張されたいのだと思いますが、この説明でお分かりの通り南朝と言うのはこの聖武天皇ファミリーまでを差しています。
現実的にも都を京都に遷したのも桓武天皇ですからね!
北朝の文化と言うのはここからという訳です。
ちなみに光仁天皇の時代で近江三船が刑部大輔に出世し、桓武天皇の代で刑部卿にちょっとランクを落されていますが、ココから推測できるように政治的な意図が働いていたことには違いありません。
それが北朝の歴史です!
さて、話を戻して物部と言えば京都籠神社の海部宮司は、日本最古の天皇家より古い家系図のある家柄として有名ですが、飛鳥昭雄先生の話によると海部宮司は「40代天皇まで神と付く天皇皆同じ」と仰っていたというのであります。
神武も崇神・神功・応神は皆同じだと。
そして更に調べを進めると、天皇の背景にある姫君の不幸な死は、まるで繰り返すかのように推古天皇や井上内親王のような不幸な死に様が、埴安姫や黒姫などにも被ります。
個人的に勉強すればするほど、同じストーリーが繰り返されているようにも思います。
物部研究者の一人が仰っていたように「56代天皇まで語呂合わせ」という言葉がシックリくるのです。
では、ここから同一説を一挙公開しますが、あくまでも私個人の同一説ではなく、様々な人の同一説を複合してラインナップしてゆきます。
- 山幸彦と豊玉姫
- 八十事代主と櫛玉姫(阿波姫)
- 大国主と沼河姫 【国津神系の神名】
- 天児屋根と姫大神 【天津神系の神名】
- 開花天皇と伊香色女
- 伊香色男と玉手姫
- 椎根津彦と大気津姫
- 天手力男と豊秋津師姫(天津羽羽)
- 国摩大鹿島と新川姫 【大中臣系譜】
こうして見ると、そんなバナナと思うかもしれませんが(笑)
神話を除き実在に生きていた証拠の残る人物は伊香色男と伊香色女になります、ここで重要なのは伊香色謎と言われますように、このポジションの姫君が本当にぼかされているという事。
なんだかハッキリしないわけです、まるで天児屋根の姫大神のように!
では、ココから現実的な証拠の残る歴史として伊香色男の形跡から歴史を見てゆくことにしましょう!
伊香色男は神武天皇と同様の経路で奈良に入りました、伊香色男の場合は旅の滞在先で神事を行っていたため数々のお宮が存在しています、そのため何時の年代に何処で何をしたかが比較的多く実存しているのです。
さらに伊香色男は大物主(ニギハヤヒ)を祀る「神班物者」(かみのものあかつひと)として任じられたことでも有名です。
石上神宮は日本最古の神社の一つで、物部氏の総ご祖神を祀る原点がここから始まり、歴代天皇が欠かさず参られていた神社ですが、ココの祭祀を伊香色男の子供の十千根(=武諸隅)に任せたと言うことです。
『旧』天孫本紀は、伊香色謎命の弟で、父は大綜杵命、母は高屋阿波良姫であるとする。
開化天皇の時代に大臣になり、崇神天皇の時代、神物を班たしめ、天社・国社を定め、物部八十手の作った祭神の供物をもって、八十万の群神を祭った。そのとき布都大神を祀る社を石上邑に遷し、天璽瑞宝も合わせて祀って、この総称である「石上大神」を氏神としたという。
山代県主の祖長溝の娘・直木姫、荒姫、および玉手姫、また、倭志紀彦の娘・真鳥姫を娶って、合計七男を生んだとある。
天皇本紀にも、開化八年二月に大臣に任じられたことがみえる。
『録』では、巫部宿禰など、多くの物部氏族がその祖として伊香色雄の名前を挙げており、「物部八十氏」を結ぶ系譜上重要な人物。
↑コチラの旧事本記では伊香色謎命の弟とされていますね!しかし物部の系図では二人は夫婦であり子供が彦太忍信命(武内宿禰の祖父)であるという説があります。
国造本紀を見てゆきますと後者の彦太忍信命の父であったのが伊香色男であると分かります、コチラの方が後継者の歴史が残っておりますので信憑性があると思います。
国造本紀では伊香色男は大彦命と称され、大彦命の子が弟彦が岡山市の三野の国造りに任命され、最終的には軽島豊明朝の主帳県主「弟麻呂」となって戸籍が現存しています、軽島豊明朝とは奈良県の樫原神宮の近くの石川池付近の古代王朝です、南朝もコチラで吉野皇后の舞台でもあります。
八爪命は弟彦と同一、弟彦は三野国造りを賜ったことから三野氏を名乗る末裔が多いです。
『彦坐王=開花天皇=伊香色男』※古事記の記載と国造の記載は違います、当blogでは古事記と日本書紀の記述は参考にしておりません。
さらに孫が大兄彦(素都乃奈美留)が越の国造りを賜っています。
伊香色男の子である彦太忍信命は武渟川別(建沼河命)と同一であり、また一説ではタケミナカタと同一で諏訪で祭られているという話もありますが、それは本当だと思います。
その証拠にムッチャン先生も諏訪に武内宿禰が祭られていると仰っていましたが、あれは間違いではありません。
国造本紀では彦太忍信命(建沼河命)の孫である武内宿禰が諏訪の国造りを賜っているからです。
伊香色男より次世代と孫世代が中心に国造りをしてゆきます!
こうして国造から紐を解くと、人の動きと輪郭のある人々の歴史が甦ります。
ただ不思議なことに43代元明天皇から45代聖武天皇の時代に華々しく木造建築を手がけた棟梁一同は、兵庫から大和に向かい法隆寺、石山寺、興福寺、飛鳥寺を手掛けて現在の三重県に定住しますが!
こちらの棟梁の猪名部氏は祭神が伊香色男です!
ということは、彼らは物部です!
聖武天皇も福岡の四王寺山から奈良に移動しています、皇子は安積親王、あずみと書いているのに「あさか」親王と読む、海神族を匂わせていますね。
少なくとも聖武天皇と大工の棟梁一族は同じ時代に西から東に移動しています!
さらに聖武天皇の正倉院には、当時のモノか?または、それより前の時代の戸籍が現存していて、国造に記されているように人々と町がマッチングしています。
マッチングしている戸籍から考えられることは、10第崇神天皇前後と45代天皇前後が近いと言うことです。
何故か700年代に様々な形で証拠が残っているのです!
なのに現代人は証拠の残る時代を調べず、中国の歴史や、証拠も根拠もない神話ばかりを調べます。
そこから推測できることは、確実に1000年歴史を盛ったんじゃないかという事。
そこに行き着きます!
物部の歴史を調べると1000年のサバが浮き彫りになります、ですから先代旧事本記を偽書としているわけです。
さて、少し国津神と天津神を整理したいと思いますが、出雲系と天孫系は違うと、または対立し戦っていたと皆さん思われいますが、実は系図から見れば同じです!
→天香語山-
-
穂屋姫
→天村雲と
豊秋津姫
<一般的な物部の系図>
始祖天火明(=ニギハヤヒ)-
-
天道日女
→天香具山(=高倉下)
始祖天日神※天日神の娘である高照光姫に天火明が婿入りする
天火明(=ニギハヤヒ)-
-
高照光姫
→天香具山(=高倉下)
天児屋根(=櫛真知)-
-
姫大神
→天押雲根(=天村雲)
これでお分かりの通り、一緒なのです!
出雲町に春日神社があることも理解できるのではないでしょうか。
ちなみに天村雲は剣で剣と言えば製鉄を意味しますが、鍛冶職人の家系には次のような系図があります。
<桑名家系図>
天津彦根(=天児屋根)→
天久々斯比乃命
<製鉄・鍛冶の系図>
天津日子根(=天児屋根)-
-
下照姫
→天目一箇神※製鉄と鍛冶の神(=天之麻比止都禰命・天戸間見命)-
-
道主日女
→意富伊我都と
アカル姫※このアカル姫と結婚したのが天之日矛と言って渡来人で火男(ひょっとこ)のモデル。
※ここから追記、伊香色男たちと共通する高皇産霊神の子孫として天日鷲神がいます、古代海神天族の共通する神は高皇産霊神となります。共同体として伊香色男神の穂積・忌部神・麻植神(おえのかみ)、同様の信仰は貴船神社や三島氏などでも同じ、すべての神社信仰の大半の系統の根に位置します。
<忌部系や八咫烏関連で見られる系譜>
天背男
→天日鷲神(少彦名)
→大麻比古
→天白羽鳥と天羽雷雄
天児屋根-
-
姫大神
→天種子命
→国摩鹿島命-
-新川姫
→巨狭山命--弥麻志姫(忌部家)
→狭山彦と雷大臣
始祖を祭ることを始めた伊香色男が、最終地に至ったのは新潟の彌彦神社と言われています、日本人の国造の祖であり祭祀の祖と言ってもよい人物です。
我々の始祖が辿り着いたのは、豊かな田園風景が見渡せる地です。
北朝天皇らは京の都で権威を誇示しますが、物部の歴史はモノづくりの素晴らしさや豊かな農耕です。
私が言いたのは物部こそ我々日本人の在り方を示し、その生き方信仰や風習が根付いているのにも関わらず、今の日本人は舶来の文化や宗教に心奪われ、ルーツの在り方を認めようとしないことです。
浮き草は常に影響力に流され、人として、それがどれだけ不安定な事か理解できるはずです。
日本人は浮き草ではないのに、浮き草のように生きてしまっている!
日本の民が浮き草や根無し草と、そうならないように始祖が祖先崇拝という共同体の文化を遺し、少なくと2000年近くも継承してきたのにも関わらず、そこに誰も向き合わない。
ニセの歴史では人々は根付かない、これが答えです。
私は例え1500年の歴史でも構わない、しっかりとした歴史があるだけで祖先に感謝しています。
という訳で、この辺りでお開きにしますが。
調べながら書くと頭がこんがらがってしまいますね、読み返すのが嫌になります(笑)
ナムジ
諏訪神社に行って来ました!
神社フリークの間でも、歴史オタクの間でも、天児屋根と猿田彦と大国主は同一神というのは広がりつつあり。
実は私もこの考えには大きく賛同しております
ただ、私としては伊香色男も同一であると考えており、開化天皇は伊香色男と同一人物であると国造本紀の脚注から理解すれば、開化天皇がおられた高良大社、そして高良大社の次に古い諏訪神社が親子関係とした場合。
そのすべてが適合するのです!
伊香色男の畿内への移動、そして次世代の移動、国造りに東を開拓した我々の祖先たち。
最後に新潟の弥彦神社に向かった伊香色男は、豊かな田園風景を見渡せる山に眠り天香具山となった。
その移動と歴史は、神話と違い確実に確かな証拠が残るものです!
ただ、不都合なのは。
年代が浅いこと
そして物部であること
不都合なことは歴史の闇に葬られてしまうことです!
日本の神さまは宇宙飛来説があるというのに
それを認めない
アメテラスとスサノオが喧嘩したとくだらないことばかり
祝詞にはこう書かれている!
『ニギハヤヒノミコトは天磐船に乗りて、河内国の河上のいかるが峰に天降りましたまいしを、その後大和国山邊のこほりふるの高庭なる石上神宮に遷し鎮め斎奉り代々其が…』
と、なんとも天磐船で飛び回っていたようだ。
祝詞だけではない!
ニギハヤヒは天磐船で移動されていたことが各地で残っている、東大阪市の石田神社にもニギハヤヒが塞ノ神として「物部の祖ニギハヤヒは天磐船に乗って降臨した」とあり、またその場所は古代祭祀場であったと石田氏によって伝承されている。
ちなみに石田氏の始祖が五十日足彦命(イカタラシヒコ)であるとするが、垂仁紀では五十日足彦命=五十日帯日子王は、春日の山君、高志の池君、春日部の君の祖とされる。
とにかく神が降臨すると伝えられている一位の木が久留米の諏訪神社の御神木として祀られている!
ちなみにニギハヤヒは調べによると世襲名であると、ムッチャン先生の話では萬旗豊秋津姫が最後の世襲者だと。
物部の伝承では伊香色男も伊香色女もニギハヤヒを世襲している、物部を排除した書物古事記に記される萬旗豊秋津姫は伊香色女のもう一つの名前かも知れない。
しかし、そこは踏み込んではいけないタブーが存在する!?
それは年代が浅く、物部である以上、権力者にとって不都合な事実なのである。
国造りの為に動いた先住民の多くは物部であった、というより日本人の多くは物部の子孫である。
後の渡来人が先住民の新潟に住む物部を蝦夷と呼んだことも記述に残っている、我々は物部の末裔だ。
なのに学校では現在の日本人は縄文人と弥生人のハーフだと教えられ、物部や蝦夷をまるで他人事のように思って大人になっている。
我々の祖はニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)であり、伊香色男が八十万の群神を石上神宮に祭った頃より現在にまで至る神事が継承され続けている。
そしてこの事実を表面化させたくないのが渡来人の家系である!
天御中主を始祖とする渡来人、有名な所では西園寺家や麻生家さらに白川家など。
神道大系などの書物の考察文献を読むと「なぜ時の天皇は渡来人に天御中主命を授けたのだろう?」と疑問を持つ文献が残っていたりする。
偶然にも明治時代の一神教政策によって、多くのニギハヤヒの神社の祭神入れ替えを行ったのも天御中主を始祖とする渡来人の末裔のようだ。
そして明治や先の大戦の裏で暗躍してきた連中も同じ、彼らは大陸起源説を中心に歴史を改ざんし、物部の資料が残る先代旧事本記を偽書として葬り続けている。
だから本当は我々の祖先はどのように国を作ったか、葬られた歴史を知る必要がある!
なんのために神社を建て
なんのために何を行ってきたのか
そこには人々の営みと暮らしがあり、そこに本物の歴史が残る。
歴史は権力者のための歴史ではなく我々の歴史だ、そして人々が織りなす美しい歴史こそが民族の成功哲学が存在すると私は考えている。
諏訪神社は榊の植樹がとても上手なお宮でした、私も早く出来るようになりたいです!
神さまとは
こんにちは、今日も前回に引き続きステキな写真提供の御礼をかねて記事を書きたいと思います。
先ずは日本の神道には「自然崇拝」と「祖先崇拝」二つの理念で成り立っています!
『自然崇拝』とは、森羅万象に神宿ると言われてますように至る所に神が宿るという考え、そして自然に感謝して共に共生すると言う教えがあります。
『祖先崇拝』とは、今皆さんが家庭で先祖供養をされているように、これが日本古来からの慣習です。
古神道では「人は神の腹から生まれ神の腹に還る」と教えられてきたからです。
死んだら神になるという考えから、古代から祖先をお祭りしてきました。
その証拠に日本に最初に訪れた僧侶は、日本人のお祭りを見て「日本人は祖先を神さまとしてお祭りする珍しい民族だ」と、その時の驚きを歌った歌が万葉集に残っているそうです。
そのくらい日本人は年間を通じて普段の生活の中で祖霊祭を行っていました!
- 日供祭(にっくさい)家人が毎日拝礼することをいいます
- 合祀祭(ごうしさい)五十日祭と言って、この日に納骨し合祀するお祭りです。仏教では四十九日と呼ばれコチラの方がなじみがあるかと思いますが、元々合祀祭が四十九日に変りました。
ちなみに、昔は墓地に鳥居があり、神社と同じ価値観で「お参り」をしていたことから「お墓参り」と呼ばれます。 - 正辰祭(せいしんさい)祥月命日に行う祭り。
- 式年祭は一年・三年・五年・十年・二十年・三十年・四十年・五十年・百年
- 臨時祭は七年・十五年・二十五年・三十五年・四十五年を行う場合もあります。
さらに年中行事としての祭礼はコチラ
他に地域によっては七夕祭も、神御衣祭(衣替え)もあります。
今は亡き神となられた方々を身近に感じ、あの世でも良き暮らしをして頂けるよう供養してきたわけです。
その他に、穢れを祓う大祓があります、「大祓」は心身清浄で幸福に暮らせるようにする神事ですが、穢れは「=氣枯れ」とも言い伝えられ、精神的に余裕がないと良いことは吸収できません、そこで一度リフレッシュしてから物事に取り組む、そんな教えが伝わっているのです。
その他の祭りは、無病息災やお祓いをメインにお祭りがおこなわれています。
なので、日本の文化と言うのは偉大なシンボルや超越した存在をお祭りしているわけではなく、祖先をお祭りし産土神様を信仰してきたと言うのが実際の話です。
もう一つ分かり易く言うと、例えば高倉さんが祖先の天香具山と言う神を降臨させました、すると子孫は繁栄し沢山の人が集まり村が出来ました。すると高倉さんにとって祭神は御祖神になり、そこに住む高倉さん以外の人にとっては産土の神様となります。
では、ここで皆様が疑問に思うのが「神社では神話の神々が祭られている」と言うことです!
その通りです、渡来人の流入により先住民の物部や蝦夷は抑圧されてきました、そればかりか渡来人の価値観である仏教のようにシンボル化した神を祀ることが主流となりました。
その証拠に「○〇権現」と言うように仏教用語で神さまを扱うようになったのです、さらに時代は仏教が主流になりました。
明治維新までは地域ごとに何処の記述にも見当たらないような、その地その土地のレアな神がお祭りされてきました。
しかし明治政府は一神教政策のため、国家神道を立ち上げ神社庁を設立しました、そして各地の祭神入れ替えを行い、祭事を統一し、幽斎神事や神懸かりを廃止し、本格的な土着信仰と斎主家系の解体が始まってしまったのです。
これにより、幽祭神事は禁止となり昼間に行う祭事がメインとなりましたが、古き伝統を守る神社はこれに反対し神社庁と争いそうになりました!
そこで明治天皇が、古式を重んじる神社は「宗教」と言う形で存続し伝統を守る権利を与えました。
なので本来の民間信仰である神社が「宗教」になってしまったのは、これが原因です。
さらに戦後GHQの神道弾圧によって、神社に関することや、神道のみならず「道」が付くモノは全て弾圧され、神社で集会を避けるために各地に公民館が建てられ、神様の話をすることすら困難な時代がありました。
現在、華道や茶道そして柔道に武道さらに書道など様々な「道」が現存するのは、一度失われそうになったモノを民間の努力によって取り戻されたからです。
そのような歴史的背景から祖先崇拝という文化を失い、葬儀仏教が主流となりました。
では、先祖供養として残る我々の文化「祖先崇拝」は何処から始まったのでしょうか?
これは南朝に残る天皇秘儀によると古代天皇が行っていた「顕斎(うつしいわい)」という神事が民間化したものになります、これは目に見えない神を顕在化させるための神事です。
同様に民間では「祝の神事」として受け継がれ、神を降臨させるという神事は数多く残っています。
記述に残るところでは物部の伊香色男命が石上神宮で八十万の群神を祭ったことから始まり、言い伝えは記紀と旧事紀で弱冠違いもあり説明が難しいのですが、物部の八十万の群神と申しますように全ての民の御祖神をお祭りし。
天神地祇とは「あまつかみくにつかみ」と読み、あらゆる神を意味するとされています。
物部の言い伝えでは「天に居られる神と地に留まる神」がおり、祖先も幽世に居られる神もおられれば、我々の身近な守護霊のように地に留まる神として存在する神もいるということです。
先住民の物部は渡来人の僧侶から見れば蝦夷として蔑まれて呼ばれている人もいました、渡来人がいつの間にか日本(物部)の歴史を背乗ったため、初代天皇から40代天皇まで物部氏が統治祭祀の両権掌握者でありながら、古事記日本書紀では蘇我や物部は身内同士で争い自然淘汰したかのように描かれています。
その理由として、○〇権現とあるように比較的早い段階から仏教用語を用いなければならなくなったことや、蝦夷や卑弥呼等の名前から推測できるように蔑まれた漢字が用いられていることを考えても、古い時代から物部(先住民)が出しゃばらないよう何かしらの弾圧があったことには違いないでしょう。
その証拠に、神社の本殿は基本開かずの間となっていると思いますが、本来本殿には神を降臨した際の依り代として剣や鏡が納められ、さらに氏子の霊璽(れいじ)が納められていました。
霊璽(れいじ)とは亡くなった人の諡名(おくりな)を書くための依り代です
古神道では神は宇宙から飛来し飛騨高山の一位の木に降臨したと伝えられています、宮司はその一位の木で作った笏を使いますが、神を降臨させる時に用いた笏や銅剣を模したモノが霊璽(れいじ)となり、亡くなった方は子孫に会いに来るときにこの霊璽(れいじ)に降臨するということなのです。
この風習が仏教でも同じように用いられ笏や剣を模したモノが後の位牌となりました。
我々が知らないだけで、本来は魂に精通する場所が神社なのです。
我々だけでなく神職の人ですら、この事実を知らない人は沢山います。
なぜなら魂に精通する幽斎神事や神懸かりを廃止した神社庁が主体となって神職を組織化していますから、神職が学ぶことは昼の祭事の作法がメインとなっているのです。
昔の時代と比べれば、まるで無神論者が神職を行っているように見えるかも知れません!笑
なので神職であっても家ではお仏壇で祖先を供養し、根本的な祖先崇拝と自然崇拝の文化を継承していない人が沢山います。
日本人は根本的なことは語られず「見せながら隠す」といった文化が根付き、表面的な所では伝統を守っていますが中身は何も伝えられていないと言うのが現状です。
表面的な由緒だけでなく誰が何のために何を行ってきたか?
そこから探らないと真実は見えてこないと私は思います!
いつも最後まで読んで頂きありがとうございます
それと過去記事を読み返すと私って本当に文章下手ですね、今も読みづらいと思いますが、調べてきたことを一所懸命書いています、もし宜しければ関連記事もどうぞ。
<関連記事>
さて、日曜日なのでおススメ動画も貼っておきます!
伊藤貫先生のお話は本当に勉強になり、色んな動画の中で一番大好きで楽しみにしています。
今回も素晴らしい講座でしたが190年前に現在を洞察していた「トクヴィル」の話最高でした!
※前編26分辺りから抜粋
彼らは個人主義となり自分の生き方を見つけて、自分の気になる人とだけ交際して、社会の動きに関心を持たなくなる。
このような個人主義者は人々の公聴心公共に対する関心、公聴心を枯渇させてゆく、個人主義とは民主主義から生まれた生き方であり、平等主義によってより一層強化されていく。
トクヴィルによると、フランス革命前の階級社会において人々は自分の先祖を明確に覚えており、しかも尊敬していた。
そして彼らは自分の孫の世代のことを考えながら自分の人生を生きていた。
人々は先祖に対する義務と子孫に対する義務の双方を常に念頭に置きながら生活し、先祖と子孫のために自分の利益を犠牲にすることを厭わなかった。
しかし民主主義になってから人々は先祖のことなどあっさり忘れてしまった、そして子孫の世代のことも気にしなくなった。
そして彼らは隣人に対しても無関心になった、トクヴィルによれば階級社会があった時は国王から農民まですべての人が人間関係のネットワークに組み込まれていた。
しかし民主主義社会はこのようなネットワークを解体してきた、これは当然ですよね自由主義社会であり機会平等主義社会でしょう、そうするとネットワークはどんどん破壊して構わないと自由に動き回る。
人々はバラバラになって孤立し、疑いに対する義務感と期待感と責任感を持たなくなった。
民主主義社会で国民は「人生で頼りになるのは自分だけだ」という孤立感を抱くようになって緊密な人間関係を築くことが難しくなってきた、人間の心を大きくし、しかも思考を深めていくには人間関係がどんどんどんどん希薄になっていきますから、お互いに思考力を深めるとか、心を大きくするという機会も減ってゆく。
機会平等主義と能力主義を重んじる民主社会は、人間を自分の成功と自分の幸福にしか興味を持たない、孤独な競争者(Lonely competitor)に変えてゆくのである。
トクヴィルは、もし平等主義と機会平等主義が普遍的な思考になるならば、人々の思考力は狭くなっていくだろう、人々は自分の目の前の世界のことにしか興味を持たず、公共の事柄に関しては関心を失う。
人々は無気力無関心な態度で時代の流れに押し流されるだけとなり、奮起して社会の流れを変えようとして努力する人などいなくなる、それによって多くの人たちは孤独で矮小で不毛な人生を生きてゆくことになるだろう。
と述べている。
引用以上
トクヴィルの権謀主義の下で生きる無神論者の話や、マテリアリズムについても全て現在に精通していて納得の内容でした。
私は今回動画を観ながらトクヴィルが今生きていたらどのような政策に出ていただろうかと想像しました、伊藤貫先生も仰っているように人間には宗教が必要なのだと思うけれど、現在のように宗教観がこれだけギスギスしているとトクヴィルであっても上手くいかなかっただろうと思ってしまいました。
そうなると、やはり原点に還ることが大事なのではと思いました、日本人の歴史文化はそういった意味でも先祖供養として辛うじて祖先を崇拝することが染みついている!
人としての在り方を世界は民主主義の名の下で見失っているならば!
日本人なら、それを取り戻すための雛形になれるのではないかと私は思うのでありました。
そしてそのためには祖先崇拝というこの慣習を僧侶も勉強し直し、古来からの伝承を宗教宗派を問わず正しく受け継ぐことが大切だと思っています。
では良い日曜日を~♪
Collaborationist
マテリアリズム(materialism)とは唯物論のことであり、その本質は物質主義であったり実利主義を意味している。
マテリアリズムに汚染された世の中で人々は唯心論を見出すことができるのか?
さて、伊藤貫先生とジェイソン・モーガン先生のプレミアム動画が配信されました、休日にじっくり勉強できる内容でした。
今回も横文字が多かったので、さっそく調べて使っています(笑)
動画の内容から色々書いてゆきたいと思います
<曖昧戦略>
台湾はアメリカが守るべきつもりがあるか?
アメリカは台湾を守るために中国と戦う意思があるように見せなければ、日本人が自主防衛のために核抑止力をもって独立国を目指そうとしてしまう。
だから本当はアメリカは中国と戦う気持ちがないけれど、戦う気があるように日本人に見せていると。
「stability ambiguity = 安定性のあいまいさ」←この言葉よく出てきました、勉強。
これは私の考えですが、アメリカは戦略的に台湾は親日国であることを日本人に意識をさせ、台湾に有事があった時に日本の自衛隊が台湾防衛に買って出るような洗脳がされているように思う。
特に日本の保守界隈にこのような洗脳が強く、それは台湾利権と背中合わせで根付いているように思う。
何故なら従軍慰安婦像について保守論者は韓国にヒステリーを起こすが、実際にこの慰安婦像を世界に働きかけて様々な国に設置させてきたのは台湾人である抗日連合という組織である。
実際に台湾に行った人たちの話でも、現地で親日だと実感した日本人は少ない。
親日だと感じられなくても、慰安婦像を世界各地に設置され罵られても、頑なに台湾は日本が好きだと信望する、これが今の日本人です。
占領下に日本人であった台湾人に対して、その孫世代の若者にしてみたら祖父母がどんなに日本が好きで誇りを持っていたとしても、孫世代の彼らは紛れもなく台湾に住む中国人で、中国人としての誇りは持ち様を失ってしまうのではないだろうか。
祖父母世代や親世代と相成れない世代ギャップを抱え、「かつて日本人であったこと」をいつまでも誇りに持たれる、これは親族関係に複雑な影を落としてしまう可能性がある、だからこそ強烈な抗日連合が存在することを我々日本人は自覚しないといけないと思う。
動画の後半30分くらいに特にイイ話をしていますが、「強い奴に媚びへつらう」フランスのヴィシー政権時の話を引き合いに出して、「ヴィシニスト」これは伊藤貫先生の造語だと思うのですが、ヴィシー政権の後のフランス人はドイツの時はドイツに服従し、ドイツが負けたらアメリカに服従する、そのような強い奴に媚びへつらうヴィシー主義者が日本会議の会長や日本の官僚や政治家に見受けられることをお話しされています。
モーガン先生は「日本に男の人はいないのか?」と伊藤貫先生は「日本の保守派は信じられないほど臆病」だと話されています。
要は直訳すると、とんでもないヘタレであるということです!
その後に宗教と哲学の必要性を話されていました。
私から一言云わせて頂くと、日本の神道の本髄は形而上学的に語ることが出来ない不可思議さです、神道の欠点であるところは形而上学的に表すことが出来ないこと、良いところは計算式が無くても答えが「分かる」ことです。(式が無くても答えが出る)
きっと伊藤先生やモーガン先生のように形而上学を求めるのであれば日本の本質は掴みきれないと思うのです!
どんなに博識の高い学者であっても、今の時代の日本人の弱さは表面的な答えを求め過ぎること、内在する神を信じる強さは決して言葉に出来るものではありません。
江戸時代の祖先は哲学や形而上学を持って信念を得ていた訳でなく、祖先崇拝という日本の文化を通じて祖先から連綿に繋がる絆や「ナカイマ」と言う教えから諸外国にない精神文化を受け継いでいたことです。
ちなみに「ナカイマ」とは?漢字で書くと「中今」になります。
今を生きる我々は、遠い昔の祖先から遠い未来の子孫にまで、どんな生き方をしようと我々は「今を生きることを」許され愛でられながら生きているということです。
だからこそ誇りを失っちゃいけないし、未来への手綱を持つことの大切さを知ることができる!
「ナカイマに生きる」とは、そう言うことです。
ただ、これを受け継ぐことが一番難しいことでした、「これ」とは意志のことです。
日本の神道では「愛」を「神意」と書いていましたが、明治から失ったものは表面的なモノに囚われた日本人が「意思を継ぐこと」を失ってしまったのだと私は推測しています。
墓を守り、神棚を祀り祖先を崇敬する文化。
冥界では、連綿な連なった先祖たちは子孫を見守る御座におさまり我々を見守る神となる、その神の世界で祖先たちが嬉し愉しと暮らしてゆけるように我々は祖先の幸せを祈り、神となった祖先も我々を愛でて下さいますよう両想いの関係性を作る、これが日本の文化です。
どこから始まったかと言えば、古代天皇は皇霊祭を行うため「顕斎(うつしいわい)」という神事を行っていました、目に見えない存在を在るモノとする神事です。
神を顕在化させる神事です
これが各地の神社にも受け継がれ、新天地で子孫繁栄をし、安心して暮らしてゆくために神を降臨させお祭りしてきたのです。
この原点が、家庭用になったものが神棚や祖霊舎という訳です。
決してシンボル崇拝ではありません、其々のご祖神をお祀りし、それが後の産土の神となっていったのです。
どの学者も「なんのために」と言う原点追求をしないために由緒書きの神々に翻弄されていますが、神話の神々でもなく、とびきりの超越した存在でもなく、我々に身近に関連するものであったからこそ八百万の神とお宮が存在するのです。
古代から祖先をお祀りするという独特の土着文化です!
万葉集に日本に初めて訪れた中国の僧侶は「日本人は珍しいことに祖先をお祭りしている」と残しています。
今でこそ葬儀仏教となっていますが、本来は神道で行ってきたこと。
秋分の日と春分の日は秋季祖霊祭と春季祖霊祭、お盆には中元祭、さらに元旦祭といって我々日本人はお正月から神事を行います。
産土神から生まれ、亡くなればまた神の腹に還ると言う教えです。
だから日本の文化は継承しないと、その素晴らしさは分からない。
我流や新興宗教や他教にハマってしまっては日本の継承文化の醍醐味は語れません!
明治の祭神入れ替えによって土着の信仰は失われ、オリジナルであった祖先崇拝は江戸時代の檀家制度や明治時代の国家神道によって歪まされて来たのです。
日本人の力を取り戻したければ日本の文化を取り戻すしかありません!
僧侶に任せておいても先祖供養は出来ません、祖先崇拝は各々で行うことによって受け継がれてきたのです、天皇が行う「うつしいわい」と同じ神事を万人が継承してできた日本民族なのです。
恐れ多くて神を取り戻せないのでなくて、役割を失った自分たちの後ろめたさから神を取り戻せないのです。
八紘一宇のようになりたければ受け継がれた教えを共同体の文化とすることです、またそうして継承されてきたのが祖先崇拝です。
起点は物部の伊香色男が天神地祇の社を定めたことから始まります、だから石上神宮は歴代天皇が訪れた重要なお宮です、話すと無茶苦茶長くなるのでここでやめます。
ただ一つ覚えてほしいことは、神道は自然崇拝と祖先崇拝によって成り立っています。
そして我々は「ナカイマ」を生きていると言うことです
不都合な真実
さて、今夜は日本人が陥りやすい陰謀論について話してゆきたいと思います!
先の大戦で、北へ進軍すれば勝ちを確証していた日本軍が、日本人の裏切り者のせいで南に進軍し大敗する結果をもたらしました。
詳しい内容は、林千勝先生の書籍や解説動画を観れば理解出来ると思います。
日本は、どうも日本人の裏切り者によって崩壊に導かれてしまったこと は、この時ばかりでなく、私は明治前後から始まったと考察しています。
私のblogの愛読者であれば常々blogに書いている内容から、空気を読み取って頂けるかと思いますが。
日ユ同祖論、古代ユダヤ人説については頑なに否定してきたことです。
昔は、日ユ同祖論やキリストが日本に来ていた説は陰謀論として面白いと思っていました、若い人たちにも日本の古代に関心を持つきっかけになればと思っていました。
しかし日本人はどんどん、日ユ同祖論や古代ユダヤ人説を本物だと思い込み、より憧れや願望として確証のあるもののように進んできたので、私は日本人として火消しと言うか正しい歴史認識のために多方面から語り尽くしてきたつもりです。
そもそも日本人として日本の文化継承をしていない学者や、他宗教の学者がユダヤ同祖を語っていること自体、日本民族をバカにしてると言うか、日本への裏切り行為のように私には感じられてしまうのです。
日本の古代からの文化である祖先崇拝を理解出来ていない日本人、だからこそシオニストの口車に乗せられてしまう。
ブレブレだからこそ「願望」優先型で生きてしまうのだと!
↑コチラの動画中盤14分くらいからベンジャミン・フルフォード氏が日銀の紋章について質問が始まり、そこで語られた古代ユダヤ人の流れの話に水を差すように、ベンジャミン・フルフォード氏はハッキリと言っています。
ユダヤ人がアメリカ大陸に行った時にね、原住民に「アナタたちも同じユダヤ人ですよ」と言ってる、仲間だと言っているうちに、いつの間にか領土を全部盗んじゃってるから、要注意なんですよね!
と、対談している日本人も日ユ同祖論を引っ張り出しながらも「世界中でユダヤ同祖論を言ってる訳ですからね」と付け加えています。
さらにベンジャミン・フルフォード氏は、本来であれば日本銀行に菊の紋があるはずだと「無いと言うことを理解して下さい」と、なかなか良い指摘です。
私がここで言いたいのは、日本人の印象はユダヤ同祖論が有り得ることを心の拠り所にしているところがある!と。
情けない話、自国の歴史文化に確証がないために日ユ同祖論に寄りかかっているように見えるのです。
そこが日本人の弱点になっていると!
先に言っておけば海洋民族なので世界方々からの血が混じっている可能性がある、しかし少なくとも過去2000年の歴史においては日本を形成する文化や信仰、日本のスタイルがあるはずです。
本来なら、それを誇りに思うはず!ところがそれが無い。
明治維新から日本は殺されているんです、日本はダサく欧米は進んでいるような風潮があり、天皇みずから西洋の身なりを取り入れていた、それに明治天皇の時代から西洋の権威主義を真似して進んだことには違いありません。
動画の中で松方正義がフランス滞在中にフランス大蔵省のレオン・セイの紹介でロスチャイルドの家臣であるアルフォンスと会っていると。
それをきっかけに日本の中央銀行の話に触れられているが、、
ここで肝心なことが語られていない、これは何処の番組でも同じなのだが!
日本で最初にフランスで様々な人脈を作っていたのは西園寺公望である、彼は西洋風の名前まで持っていたと言います。
明治天皇の元老として西洋の利害損得を論じ、西洋の真似をさせた。
さらに西園寺家が所有する門跡寺では、ユダヤ同祖説や大陸起源説を学ばせ、大日本皇道立教会を立ち上げた八咫烏黄龍会会長の中山忠英を筆頭に明治で暗躍したあらゆる面々が、門跡寺を必ず出入りし何かしらの教育を受けていた。
日本の起源を大陸に置くことを中心に、八紘一宇の精神、さらに大東亜共栄圏などの構想が信条となっていった。
そして明治以前の文化や歴史は変わり、欧米化と言う方向性によって日本人は海外の情報にも幅広く見聞を広げるのだが。
今の日本と同じように、ロスチャイルドや海外の支配者と競合することによって自国を滅ぼすと言うループにはまってしまうのだ。
日本人を裏切る日本人の言いなりになってしまう日本人、さらに自国の文化を取り戻す努力をしない愚か者が自滅の道に堕ちてゆく。
これをずっと繰り返していることが嘆かわしくてなりません。
せめて古代ユダヤ人を心の拠り所にせずに、自国の誇りや文化を取り戻してほしいと願い続けています。
お次は、正に不都合な真実!
河添恵子先生は素晴らしいです
知恵を付けさせて頂きましょう!
最後にロスチャイルドのようなユダヤ人や、シオニスト・共産主義者・オリガルヒ・グローバリスト・DSとかに負けないように!日本人が覚醒する動画を貼っておきます。
コチラは観ると幸せな気持ちになると思います、是非観て下さいね。
では、おやすみなさいzzz
龍神の姫
今日は楽しい都市伝説的な感覚で、楽しみながら記事を書いてゆきたいと思います。
↑の動画はニュージーランドのワイタハ族の長老が語る龍神のお話で、とても面白いです。
日本の海神族も龍蛇族の末裔だと言われています、ちょっとその辺りも含め解き明かしてゆきたいと思います。
先ず、福岡県春日市の春日神社こちらには社殿の貴重な彫刻を施した装飾を残しています。
なんとそこに!
姫大神がチューリップのようなステッキを持って
龍のように飛んでるではあ~りませんか!?
これこそ龍の姫ですな♪なんちって。
なんで春日神社に?って思うかも知れませんし、なんで龍蛇族に関係あるの?って思うかも知れないので解説してゆきます。
先ず、系図から解き明かします!
鹿島一族の系図によると天之児屋根の妻は色々な名称がありますが、鹿島の系図では御笠臣が妻として記されていました。
御笠臣と言うのは世襲名です、縄文や弥生時代はやはり女性君主だったのでしょうか?
近くには御笠の森もあります


この写真は私の大好きな場所
みんな2000年もの間なんらかの形で真実を残してくれているんですよ!
愛ですよね~♪愛。
愛=神意(あい)
必ず生まれ変わって全ての真実を解き明かせるように、すべての人々が残してくれたヒントは正に神意です。
PS、今日はイイ天気ですね~♪
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天然資源の支配
この国連の正体と言う動画とてもいいです、ここではオルガルヒの支配下に置かれていることを説明しています。
☆
動画だけでなく現実世界も、人々は恐怖心を利用されパンデミックからバイオセキュリティー国家を目指されています。
要は国連が政府より強い権限を持ち、人々の管理監視をしていくというもの。
本当にWHOもWEFを潰さない限り、地球上の人々の幸せはありません!
彼らは動画でも説明されているように、天然資源を支配しています。
他国の資源にまで手を出し、そこに暮らす人々が自由に使える資源はないように仕立て上げます。
日本も同じですよね、水は先祖代々から美しい水源を守り続けて今の日本の美しい水が存在します。
にもかかわらず、麻生家という九州の片田舎の金持ちの一人が大臣になって、自分の娘の旦那のために日本の資源を売る権限を与えた。
水なんてタダです、そこに暮らす人々への恵みです。
治水事業にしても下水処理場にしても、我々の税金で作って来たものです、しかし「水」に関して値段をつけるなんて、そんな権限は誰にもないハズです。
公共であったものを民営化し、外国の天然資源を支配しているオリガルヒたちに日本の資源を勝手に売り渡す!
本当に酷い話です
しかし今始まったことではありません
日本の金山銀山も同じですよ!
ずっと産出していた鉱山が、なぜ西園寺家や三菱財閥の手によって管理監督されてから採れなくなったのか?
金銀が産出できないのではなくて、紙幣で支配する世の中に仕立て上げるために、日本で最初にグローバルエリート(オリガルヒ)たちの手法を取り入れたのが彼等なのです!
だから海底に眠る地下資源が豊富にあることが解っていても、誰も手が出せない。
それに火山国ですよ日本は、金銀の鉱脈は至る所にあります!
不便な世の中を作り、彼らの支配したい資源によって人を操り、本来健康で長寿である人の寿命も病原菌を作り上げ病弱で治療という名のマーケットに人々を誘い、薬物中毒という罠に陥れる。
さらに歴史は改ざんし権威主義をもたらし、面倒な官僚システムの罠に人々を陥れ支配する。
日本人は、江戸時代の頃は名前のない貧しい人が山ほどいたと言われています、そのために苗字すら与えられなかったと!?
本当にそうでしょうか?
江戸時代の識字率は世界最高レベルだったのに?
1300年前の正倉院の戸籍から現在に至るまで苗字はあります!
そのことに不自然さを感じたのは、占いを通じて多くの方の系図を作る作業をお手伝いした際に、現存する戸籍を遡るだけで少なくとも5~6代先まで遡れることが分かりました、5~6代遡ると江戸時代です!
江戸時代に名前のない人を見つける方が難しいのではないですか?
山窩(サンカ)の末裔の人ともお会いしたことがありますが、サンカ特有の苗字はありましたよ!普通の苗字です。
サンカと言うのが特殊な山間部生活をしていると、そこばかりにフォーカスして作り上げているように思います。
蝦夷にしてもアイヌと顔が似ているから、アイヌ民族だと決めつけたり。
しかし歴史を隈なく調べると、蝦夷は渡来人の僧侶が先住民を差した呼び名であり、その先住民は物部に関わる系図と国造の歴史を有する人たちです。
先住民は物部であることが多く、そこからの末裔が国造本紀に記されているように各地に点在し、今も尚、いとなみ暮らしている。
そして更にサンカの人たちも、古代豪族の物部に関連する人ばかりでした。
歴史で見る限り、江戸後期に国学士の本居宣長らは「先代旧事本記」を偽書として尊王思想を国学として発展させました。
ここから面白いことにテレビで有名な水戸黄門にしても、みんな共通した思想を持って明治維新の後も優位な地位を保っていました。
私は一つの軍団のように見えてなりませんが、西園寺家も縁戚関係の三菱や住友そして三井家、さらに野村も、同じです。
西園寺家の門跡寺教育は、維新の立役者を育て、後の創価学会のような宗教や組織の前身を作ります。
そこにはバカの一つ覚えのような、韓国にルーツを置く考え方や、天之御中主や神話をベースとした神々を祭神とする一神教政策や、彼らにとって都合の良い歴史が始まります。
天之御中主は渡来人に時の天皇が与えた神であること誰も知りませんよね!
なぜ神を与えることが必要だったかも今の日本人には分かりません、日本は古来から祖先崇拝として祭りを行ってきた民族です、人々は其々のご祖神をお祀りしていました、これが物部の信仰です。
ところが渡来人には、そんなご祖神がおりません!
そこで時の天皇は「天之御中主」を渡来人に祭神として与えました、考察文献には「なぜ天皇は渡来人に天之御中主を与えたのだろう」と疑問に残る記述が残っていました。
この天之御中主を祭神とするのは北朝勢力の人間たちです、理解できますか?
北朝勢力の一人である西園寺が、明治元老のみならず会津戦争の後に新潟府の権限と佐渡の金山を所有する権利を握った、その後、縁戚の三菱に鉱山の監督をさせてゆきますが、江戸後期から明治に暗躍したのは薩長の海賊とグラバー&坂本龍馬らだけではありません!
西園寺公望は既にフランスに出ています、そして歴史や教育を改ざんしオリガルヒと同じように資源の支配と言う戦略で新しく変わる日本を牛耳っていったのです。
尊王論は儒教ですよ!
日本古来からの教えが、近代史にはどこにもありません。
GHQだけのせいではなく、明治の時点で尊王思想に騙されたのです!
南朝復活というデマに騙されたのです、南朝には竹内文書などのように物部の歴史を守り続けています。
しかし江戸後期の国学士の頃より、もっと前からだったのかも知れませんが「物部はタブー」として歴史から抹殺されて来ました。
明治時代の祭神入れ替えなんて、まさに物部のニギハヤヒを隠すための祭神入れ替えです!
東大寺や法隆寺、石山寺、興福寺、飛鳥寺、多くの寺や神社などの建築物を残した棟梁の一族は、古代物部の祭神を祀り続けています。
さらに面白いのは物部の末裔が八幡や春日神社を崇敬神社として建てていること、物部が日本古来からの大きなヒントのカギを握っているはずなのに、古事記や日本書紀の編纂の時代より物部の歴史は封印され、渡来人の統治力が大きくなっていったこと。
しかし天皇の大嘗祭も、物部を継承する古来からの神社の神事によって継承できている。
まさに、どのような人間が天皇になろうが関係なく、日本古来からの神事によって成り立っているのだ。
南朝復活を望んだ西郷隆盛さんも騙されたということです、南朝勢力は明治維新の混乱期に土地も山も事業も奪われた、南朝の庄屋や豪族の財産や地位を剥奪した者が華族として名を馳せた。
だから決して明治に得た華族の称号なんて自慢できることではない!
八咫烏と言う組織もデタラメです、当時のギャングによって結成されました。
この頃から欧米列強のように、悪いギャングが地位を高めていたのです
江戸期の人身売買のブローカーがチンピラと組み維新の志士となり、さらに麻薬商人として財を築いた者が政治と結託した、そのような者たちばかりの末裔が資産家となって世に蔓延り、今で言う世襲議員としてオルガルヒの言いなりになって売国の限りを尽くしているという訳です。
だから世の中が、ちっとも良くなりません。
動画の強欲な支配者と右に倣えした日本の強欲者が地球を蝕んでいるのです!
西園寺家の門跡寺教育によって掲げられた「大東亜共栄圏構想」が未だに見果てぬ夢となり。
消された歴史に、権威を欲しがる輩は大東亜共栄圏という夢に酔い、お国のための善悪も、家族のための善悪も見失って、支配する側の椅子取りゲームに群がり我の在り方を見失う。
歴史の浅いアメリカ人と同じ、高々247年で虚栄を張るアメリカ人と同じように、大東亜共栄圏に酔いしれ、守るモノも分からず生きている。
だから麻生太郎のように大切な「水」を簡単に売ってしまう!まさにインテグリティのないオポチュニズムである。
我々は祖先を崇拝する古来からの生き方を継承しているので、勝手に自然を売る事なんてできない、まして神となった祖先の理なしに自分勝手に決断するなんてできない。
日本人らしい在り方を知らない人間社会になってしまった証拠だ!
高齢者の麻生太郎ですらこれなのだから、どうしようもないのかも知れないが。
幸いなことに麻生家は天之御中主の末裔らしい!?
売国奴なのは渡来人だから仕方のないことかもしれない、西園寺家も渡来人の名門家だ。
もしかすると日本は渡来人によって蝕まれているのかもしれない。
近年悪徳業者に作らせた歴史的有名人や神話の神に紐づけした系図が流行っているが、間違っても他人を系図に入れて供養しないように!
そんなことをすると他者によって家や財産をすべて奪われてしまうような末路が待っています!!
幸せは正しい継承があってこそ、それを体現して来たのが本来の日本人です。
我流の信仰や教祖はどうなっていますか?想像してみて下さい。
昔からのやり方を継承することが大事です、普通にお金をかけなくても大丈夫。
但し、作法は守りましょう!
作法とは正しく継承をすることです、要は伝統を守ると言うことです。
決して家財産を守ることが継承ではありません、そのことをお忘れなく!
先日、泰平別館にて炭火焼肉の懐石をご馳走になりました、デザートの写真だけですみません(笑)
とっても良い一日でした、祝いの席ありがとうございました。