国造と移民

さて、何から話すか、何を中心に話すか定まらない、とりあえず夢から気付きがあって気になることをどんどん書いてゆこうと思う。
 
先ず、占いで子孫に恵まれないと言うのは、その妻や嫁に原因があると一般的には考えがちだが占いの視点では違う。
子孫が恵まれないのは三代遡っての因果関係を見る、子孫繁栄の流れを妨げているのは何か?その要因を知るには祖母の因果が孫に反映すると言うのが原則的な考え方だ。
 
だから祖母の代で家の流れを変えてしまうと、家は栄えなくなる。
例えば、祖母が他教に変えてしまうことで子孫や孫世代が報いを受けてしまったり、長男が実家よらずで離れてしまい、後継者や子孫に恵まれなかったりする、これは全て嫁の責任じゃなくて姑の責任なのであると考えるのである。
 
 
次に、基本的にハーフやクウォーター・二世や三世と呼ばれる人に多い悩み「自分は何人か分からない」と言う悩み。
 
古代からの日本の教えでは「産土の神の腹から生まれた我々は神の子であり、死んだら神の腹に還る」と言うのが原則的な教えであり、だから本来は差別意識はないはずなのだが。
 
神の教えや土着信仰が失われてしまった現代では、大陸の思想に染まっている。
 
それに儒教を経由した道教や仏教には階級意識は根強い、これも問題だ。
 
日本人が本来の文化や誇りを取り戻したら「縁」の結びつきに独特の感謝をするだろう、何故なら「縁」は目に見えないもの、目に見えないモノや、数奇なことや「偶然」は、すべて神の御働きの業と考えるからだ。
従って肌の色や容姿は関係なく、産土神様に縁あって誕生した命は「神の子」であり、それは人間が決めることでなく神の「縁」あってのことと考える。
 
失われた160年前の日本なら、きっとその地で生まれた者も堂々と神の子として生きていたであろうと思う。
 
余談だが。
斎主家系は村を守るために、独特の神事を行ってきた所もある。
災害や災い、そして村に合わない人間はその人にとって相応しい新天地に行くようにする神事もある、要はイヤだなと思う人がいれば子孫が生まれる前に他の村に飛ばしてしまおう!ってこと。
これを本当にやってのけちゃって、長きに渡る共同体の繁栄と調和をしてきたんだから日本の神髄は凄い。
 
 
次の話題、日本に同じ町名や地名が残っているのは何故か?
何処出身の者であるかルーツを大切にしてきた名残である、例えばコチラの記事を参考にして貰いたい。
 

 
私も時々勉強させてもらっているblogであるが、リンク先はコチラ
都乃奈美留命は、北陸古代史の難問の一つだ。

国造本紀によると、崇神に、高志深江国造に任じられ、また、仁徳朝に、同名の人物(素都乃奈美留命)が、加宜(かが)国造に任じられたという。
これは先代旧事本紀の国造本記の資料を基にしていると思うが、素都乃奈美留と言う人物が高志深江の国造りを命じられたと言うことから引用されている、ちなみにこの「崇神」又は「仁徳朝」と言うのは160年前の後付けである、当時の国学者が統一した歴史認識のために明記しているものである。
 
ちなみに神武などの名称は最初からそう呼ばれていたものでなく、こちらも後付けと言われている。
 
一般的には古事記日本書紀を編纂する際に天皇名を作ったとも言われているし、竹内文書や宮下文書においても160年前に何らかの改ざんと言うか歴史認識の統一した形跡があったり、学者たちが160年前に大幅に歴史学に力を入れていたことが伺える。
 
但し先代旧事本紀においては時の御用学者が偽書として扱ったため、160年前から封印されてきた書物とも言える。
 
要は160年前の時点で、明治維新を目前に訳が分からなくなっていた書物を御用学者たちが担ぎ出し、其々大陸に勝る歴史を誇示するために、各地に眠っていた書物を共通認識を持って再編したと言うのが真実であろうと思う。
 
都乃奈美留命は私が調べている伊香色男の孫世代にあたる人物で、志賀高穴穂朝(北部九州の古代王朝)から国造として新潟や加賀の国造りの長となった人物である。
 
その国造りにおいて移民先の新天地でも「何処の王朝」の出身者であるとか、何処の誰の系統であるとか、其々がルーツを大切にしてきたのが日本の文化である。
 
だから他の地域にも様々なことが残っており、例えば志賀高穴穂朝の出身の棟梁(大工職人)集団は「穴穂」の衆として「アノウ」や「アホウ」と呼ばれ親しまれて来たのだ、それは「アナホ衆の誇り」であり、アイデンティティを守るためでもある。
 
古事記日本書紀の編纂に貢献した稗田の阿礼にしても、「阿礼」と言うのは「姫」のような名称の一つであり、伝承を紐解くと「稗田」の出身の姫君の一人であることが伺い知れる。
 
福岡県と大分県の稗田そして、そこから千葉や東に移住した人々が「稗田」を名乗って地名となったりしている。勿論「稗田」の出身者がそのまま苗字として使っている所もあり、全国に残る名前や地名はすべて日本の歴史の一部であり、人々はまるで生き証人のようなものなのである。
 
職業や役割がそのまま名前になっている人も存在し、例えば斎藤の「斎」はまさに斎主家系に関連した名前である。
 
日本人は古来から出身地や仕事そして誰の末裔であるかを大切にし、其々のアイデンティティを守ってきたのである。
 
ちなみに先程のブログからさらに引用すると
寿都から珠洲へ>
ブログ筆者が、最初にこの命の名を知ったとき、頭に浮かんだのは、北海道寿都(すっつ)町。

函館で仕事をしていた頃、応援に来てくれた人が、寿都の出身だった。
「ことぶきのみやこ」と書く町名が、珍しく思った。
寿都町史2」(1987年寿都町)は、「寿都の名は、アイヌ語の川名から転訛した、又一説に、アイヌ語シュツウから転訛したもので、山の麓の意である」と書いている。

アイヌ語起源かどうか別として、寿都町に住んでおられる人たちに、阿部さんの他、輪島、能登敦賀さん等の名が見られる。
北陸をルーツとする人たちが多いようだ。
と、書いてある。以前にも触れたが、蝦夷アイヌを外人扱いしている人が多いが、渡来系の僧侶の記述によると先住民である物部を蝦夷と呼んだりしている。渡来人から見た視点が現代の認識になってしまっているのだ!
 
さらに近年では顔が似ていることから一部の物部末裔をアイヌと呼んだりしているが、これはすべて先入観によるもので事実とは異なると私は見ている。
友人の話を出して例に上げると、佐渡に先住している〇〇家の人は顔の彫りが深いことからアイヌの末裔だと勝手に歴史学者から決めつけられ、アイヌの人の生き残りのように言われている。が、しかし普通に日本人であり物部の末裔であることが調査で分かった。
 
日本の歴史と言うのは古事記日本書紀の編纂により先住民の物部の歴史が葬られてしまっていること、さらに160年前の歴史学者に物部の歴史は偽書として扱われてしまったこと、さらに明治の改革では一神教政策によって「ニギハヤヒ」と呼ばれる物部の神様は神話の神々の名前に変えられてしまっていることだ。
 
例えば、ニギハヤヒは大歳神や大物主と呼ばれるようになった、しかしお正月の門松は大歳神を迎えるために用いられたものだが、この風習も語り継ぐ人がほとんどいない。
 
なんのため?の肝心な「何」が失われたのだ!
 
こうして歴史を見ても、何度も古代史が葬られることになった。
 
そしてニギハヤヒの六世孫または七世孫の伊香色男によって九州王朝から東に移住し、その伊香色男の子孫や次世代や孫世代が国造りのために全国各地に都を築き、そして各地に行き渡った人々は信仰を残し、出身地や系統を残し、さらには仕事や役割を子孫に遺していることが、証拠の残る本当の歴史なのだ。
 
 
最近では何かと、ユダヤ説に紐づけされてしまうが、聖徳太子蘇我馬子と紐づけし、景教をもたらしユダヤと結びつける人がいる。その証拠となるものが東大寺に隠されているとか、まことしやかに囁かれている!?
 
私の視点では、事実を具体的例に挙げると。
東大寺を建築した棟梁集団は、元明天皇聖武天皇などの勅命により東大寺の建設に携わるが、それだけでなく法隆寺石山寺興福寺飛鳥寺などの建築にも携わっている。
 
そしてこの棟梁集団は、最終的に三重県の猪名部に落ち着くのだが、彼らの祖先はこれだけでなく応仁時代では新羅王の船を造ってあげたり、宮殿造営に欠かせない集団であったのだ。
 

こうして見ると歴史をギュッと凝縮したように15代応神天皇から45代聖武天皇まで、歴史を股にかけた集団であるが!?

 

日本を代表する大工集団はユダヤに関連するのか?

信仰は景教に関連するのか?

 

と、確かめてみると猪名部の棟梁集団は、猪名部の祖神「伊香我色男」を祀っている。

 

ヤハウェはどこにもいないし、彼らは物部であり穂積(海神族)の末裔である!

 

同じように、穂積(海神族)の末裔であり、志賀高穴穂朝(北部九州の古代王朝)から国造として各地に行き渡った人たちも、みんな物部であるのだ。

 

 

歴史が何処から歪んだのか?

神が何時から分からなくなったのか?

 

様々なことを考えた時、やはり鎌倉や室町時代神職家系が仏教を取り入れだしている歴史的証拠から、この後、軍師信仰が広がるにつれ古代信仰は薄れていったと思われるのであるが、仏教を取り入れてもやはり江戸時代の檀家制度までは日本の文化の霊祭を重んじていた。

 

しかし貴重な歴史的証拠や貴重なモノは、寺でなければ守れなかった事実もあるわけで、荘苑の時代よりお金集めの上手い寺が歴史的に重要なモノを残しているのは仕方のないことなのだ。

 

一例をあげると、諏訪信仰の大祝家系は神憑りの重要な神職家系であるが、なんと大祝の守屋一族が鎌倉時代に仏教を取り入れてしまっているのである!ちなみに大祝は諏訪では五つの名家があり、守屋家の他に龍澤家・武居家・金刺家・諏訪家などがある。

 

という訳で、我々が「神さん」に無頓着であっても仕方がないのだが、今でこそ情報社会。

160年前の学者より確かな歴史を紐解けるはずだ!

 

さて、諏訪の古代信仰は何か?と言えば、なんと蛇信仰とも言われています。ヘビ

 

これは奈良県の三輪大社も同じです、奈良や関西では巳を「みーさん」と呼び親しまれていますが、ヘビこれね、ま、海神族は元々龍蛇族とも言われていますが、みーさんはニギハヤヒのことなんですよ!龍

 

あ、ニギハヤヒって千と千尋のハクの名前と似てますが、物部の神様はニギハヤヒです。

 

陰謀論で言われる悪魔信仰では、リリスが蛇さんですからね!蛇と言えば悪魔信仰じゃんと言う人もいます。

 

日本はシュメールと言った方が他より整合性があると言えます、例えば「皇(スメラ)」はスメルが語源だったり。

スメルはシュメールがなまったものだと言う説もあるし、あと冥界の信仰は祖先崇拝と似ているし、悪神を作らない信仰も全く日本と同じ考え方であるし。

 

そもそもキリスト教ユダヤ教とは全く違います。

 

ちなみに剣は伊香色男のシンボルであり、一族の象徴や祖神は剣です!なのに四国の剣山とか、なんで日本の歴史登場人物をすっ飛ばしてユダヤに繋げるかな?と呆れます。

せめて、もう少し日本の歴史を調べたり、普通に日本の信仰を取り入れて生活して考えてみたら?と思います、きっと祖先崇拝や自然崇拝をしないから、実質的に身に着いたアイデンティティがなく他教に振り回されるんだと思います。

 

神棚の祀り方を間違えたり、祖霊舎で先祖供養をしないと「こうしてれば安心、祖先から我々までこれで幸せに生きれる」と思える自信がつかないと思います。

 

きちんとやっている人から見ると、分かるんです!

 

 
最後はちょっと毒づきましたが、私は日本の真実を愛しています!以上。うさぎクッキー