打たなきゃ良かった
さて、去年の記事なんですが、そのまま今年の情報を加えてリメイクします♪
私は連日のように日本の歴史や祖先崇拝のこと書いています、今の時代だからこそ一人でも多くの人に正しい供養方法を知ってほしいのです。
それに、ちゃんと先祖に繋がると覚醒せざるえなくなったり、自分の使命のような道が拓けるからです。
ところが間違えた供養の仕方を続けると、同じところの堂々巡りだったり、苦労して身を削って刹那的な生き方が当たり前になります。
とくに仏教や偶像崇拝は自ら修行の縁に導くわけですから、まるで人生修行のように、生きている人の価値観も子や孫に厳しく「がまんして苦労しろ」とまるで呪文をかけるように、そして楽になることも幸せを掴むことからも遠ざかります。
それは修行の人生を誇りにするような、苦労自慢の人生になり「普通に幸せになるのが、そんなに憎いのか?」と疑問を持ちたくなるほど、刹那や苦行、本当に好きな人とは結ばれず、それを受け入れることを美徳とします。
けれど修行のリバウンドのように、ムリが効かなくなれば強欲に走り出し、まるで反省ザルとコスプレ聖人を繰り返すような、アップダウンの波のある生き方も特徴的です。
それがお好きな方は、泣いて笑って、切ったり縫ったりして、人にほだされ食って喰われてを繰り返し、恨み辛みを偶像に押し込めて生きて下さい。
でもね、日本は元々「神の國」で我々は神の子なんです!
ですから本来は祖霊舎で祖先をお祀りし、神棚で祖先崇拝するのが普通なんです。
私はこの一点、祖先崇拝は神道であることの重要性に辿り着くまで未だ目覚めていませんでした、私自身も「神はGODで仏は先祖」と世の中のバイヤスにかかっていたからです。
仏式から神道式に変えること「元ある形に戻す」ことで、すべての因果関係からやっと解放されました。
「神棚を祀ること」これは宗教ではありません。
明治政府は国家神道を作り一神教支配のために斎主家系を解体した際に、古式を重んじた神社は神社庁に反発しました。このままではマズイと明治天皇は、その時に古式継承ために神社を宗教として存続させたと言う歴史的背景があるのです。
ですから神道が宗教と言う位置付けは近年の身勝手な政策によるもので、古代からの土着信仰であり継承文化に過ぎません。
だから明治や戦後の様々な理由から、私たちにとって当たり前だった文化継承を失い。
さらに、お作法や日本人の在り方自体が分からなくなったようなものなのです。
そこに他教がしゃしゃり出て、祖先の神々に試練を与えるように、霊界に「修行の縁」を持たせたものですから、日本は厳しい苦行の道に歩みました。
仏教式にどんなに金をかけ、法事を行っても根本的なところが違うのです。
まるで偽りの幸せのように、束の間です。
そしてそれはこの世とも同じように反映し、神に試練を与えたら日本も試練、人々も試練、政治も試練、常に海外から内政干渉され続ける。
仏教第一で神を亡きものとすれば、何も信じるモノもなくなり「どうせ幸せなのは一瞬だけ」幸せなまま生きれることすら、穏やかなまま暮らせることすら、感謝の気持ちすら、亡くしてしまいます。
なぜなら!偶像崇拝には唯心論がありません。
目に見えないモノは信じないのですよ!
縁も見えないモノ
希望や願望も見えないモノ
愛も見えないモノ
信じるモノがないのは空っぽと一緒、だから目標を失うとガタガタとすべて失ってしまう。
不条理さにも、理不尽さも、試練だと黙って飲んだことが報われると信じたからこそ、中途挫折することが耐えきれない。
どんな世界も無理は禁物!無理は続かないのです。
命の尊厳を問われた時、真理はどこに身を置きますか?
「あるがまま」をどう捉えますか。
その根本的なことも考えず、日本の古来からの霊的世界を重んじる文化と、仏教の教えのギャップの中で何か不自然さを感じませんか?
浄土宗ではお墓に魂はありません、弥勒菩薩様がすべてあの世に持ち去り、この世に魂は存在しないそうです!
ならば葬儀や先祖供養で仏教がしゃしゃり出ることやめて下さい!
御先祖と言う我々の神に失礼です!
まるで日本文化を否定し、リベラルのプロパガンダのように侵入し、そのくせ自分たちを正当化して葬儀仏教として日本文化に背乗っているのです。
まるで現代社会と同じです、中国人に戸籍は背乗られ、リベラル思想によって日本の古き良き文化が失くなってゆくことのように。
神の世界もこの世の世界も同じ、神の世界に他教を持ち込めば、日本に大陸から侵略者が入り込む。
江戸の仏教贔屓が過剰になれば、ついにペリーが来航し彼らのやりたいように始める。
この世はONENESS、すべて繋がっている。
嘘だと思うなら試して下さい!偶像を一つ残らず排除して、仏教でなく普通に祖先を「神」として祀ると人生が生きやすく変わるんです。
今まで苦しく生きてきた人が楽になる!
嘘みたいに道が開け幸せに繋がる、本当に不思議なくらい成果がでます。
ただ、偶像は執着心の塊ですから!
アナタにしがみつきますよ(笑)
ま、冗談のように書いていますが真実の愛を掴みたいなら、先ずは神のハートを掴んで下さい。
神はGODでなく祖先です!
江戸時代から偶像崇拝が主流になり、近年は墓にも偶像ぶち込んで、依存して、執着して、あの神この神と、道教のようにご利益に翻弄してきた日本人。
道教は現世利益を求めますが、神道はご利益は求めません!
ここからして大陸の信仰と根本的な考えが違うのです。
偶像崇拝は物質欲が強くなるだけ!シンプルにしましょ、お釈迦様ですら偶像崇拝はダメだと言ってきたのです。
それに社会も人も住み分けも必要でしょ!移民政策ダメだったでしょ。
この世を良くしたいのであれば!
根本的なところから見直すしかありません。
日本は古来から
言霊の霊妙な力で善くしてきました、まさか!と最初は思いましたが本当だと思います。
日本は昔から面白い國で「神を喜ばせれば我々も喜び多い日々となる」と、だから神道では毎日神様に喜んで頂ける祝詞を奏上します。
言霊によって神と結ばれてゆくのです
祝い=結び
だから言霊は大切なもの、言霊の違うお経では結ばれないのです、だから僧侶でも御霊には祝詞を使うことが必要なんです。
分かりやすく言えば、お経で神を幸せに出来ません!
それとも僧侶は、イヤだイヤだと日本の文化を拒絶したいのでしょうか?
守護霊に頼らず、一人で人に甘えず生きてゆくならどうぞ、そんな厳しい修行を続けたいならどうぞ。
でも、もうそろそろ気付くべきです、仏教を勉強したいならどうぞ好き勝手にして下さい、けれど新興宗教のような無知な教祖に騙されないで下さい。
先祖供養は物部の古代から受け継いだ神の領域です!
信者や一般の人を巻き込むな!ご先祖様も激オコです!
それに万葉集の時代、日本に最初に訪れた僧侶は「日本では亡くなった人のための霊祭をする」と珍しい風習のある民族だと驚いていたそうです。
僧侶は【神の國】に反旗を翻したいわけではないでしょう、江戸時代は僧侶も「神」のことは斎主として神式で行っていたのですよ。
なぜ今頃になって頑なに我を張るのか?
本来のように文化共同体であるなら日本の根本的な教えに身を寄せるべきです!
それが出来ぬなら、ベートーベンの第9と一緒「この集いから静かに立ち去れ」です。
日本を亡くすと全て失います!
すべて
ONENESS
PS、神式ならお金もかからない方法が沢山あります!
神棚と祖霊舎を揃えるのに上手くいけば1万円以内で納まるし、全部自分で供養出来ます。
ただ、神さまはお飾りじゃないので放置プレイすると頭打ちます!
ご先祖に怒られますよ!
いずれにせよ、打たないように!
1984年この頃の美声が消えるように世界には不可解なことが沢山あって、今は精算期に入り、まるで真実と偽りが戦いあっているようです。