神さまとは
こんにちは、今日も前回に引き続きステキな写真提供の御礼をかねて記事を書きたいと思います。
先ずは日本の神道には「自然崇拝」と「祖先崇拝」二つの理念で成り立っています!
『自然崇拝』とは、森羅万象に神宿ると言われてますように至る所に神が宿るという考え、そして自然に感謝して共に共生すると言う教えがあります。
『祖先崇拝』とは、今皆さんが家庭で先祖供養をされているように、これが日本古来からの慣習です。
古神道では「人は神の腹から生まれ神の腹に還る」と教えられてきたからです。
死んだら神になるという考えから、古代から祖先をお祭りしてきました。
その証拠に日本に最初に訪れた僧侶は、日本人のお祭りを見て「日本人は祖先を神さまとしてお祭りする珍しい民族だ」と、その時の驚きを歌った歌が万葉集に残っているそうです。
そのくらい日本人は年間を通じて普段の生活の中で祖霊祭を行っていました!
- 日供祭(にっくさい)家人が毎日拝礼することをいいます
- 合祀祭(ごうしさい)五十日祭と言って、この日に納骨し合祀するお祭りです。仏教では四十九日と呼ばれコチラの方がなじみがあるかと思いますが、元々合祀祭が四十九日に変りました。
ちなみに、昔は墓地に鳥居があり、神社と同じ価値観で「お参り」をしていたことから「お墓参り」と呼ばれます。 - 正辰祭(せいしんさい)祥月命日に行う祭り。
- 式年祭は一年・三年・五年・十年・二十年・三十年・四十年・五十年・百年
- 臨時祭は七年・十五年・二十五年・三十五年・四十五年を行う場合もあります。
さらに年中行事としての祭礼はコチラ
他に地域によっては七夕祭も、神御衣祭(衣替え)もあります。
今は亡き神となられた方々を身近に感じ、あの世でも良き暮らしをして頂けるよう供養してきたわけです。
その他に、穢れを祓う大祓があります、「大祓」は心身清浄で幸福に暮らせるようにする神事ですが、穢れは「=氣枯れ」とも言い伝えられ、精神的に余裕がないと良いことは吸収できません、そこで一度リフレッシュしてから物事に取り組む、そんな教えが伝わっているのです。
その他の祭りは、無病息災やお祓いをメインにお祭りがおこなわれています。
なので、日本の文化と言うのは偉大なシンボルや超越した存在をお祭りしているわけではなく、祖先をお祭りし産土神様を信仰してきたと言うのが実際の話です。
もう一つ分かり易く言うと、例えば高倉さんが祖先の天香具山と言う神を降臨させました、すると子孫は繁栄し沢山の人が集まり村が出来ました。すると高倉さんにとって祭神は御祖神になり、そこに住む高倉さん以外の人にとっては産土の神様となります。
では、ここで皆様が疑問に思うのが「神社では神話の神々が祭られている」と言うことです!
その通りです、渡来人の流入により先住民の物部や蝦夷は抑圧されてきました、そればかりか渡来人の価値観である仏教のようにシンボル化した神を祀ることが主流となりました。
その証拠に「○〇権現」と言うように仏教用語で神さまを扱うようになったのです、さらに時代は仏教が主流になりました。
明治維新までは地域ごとに何処の記述にも見当たらないような、その地その土地のレアな神がお祭りされてきました。
しかし明治政府は一神教政策のため、国家神道を立ち上げ神社庁を設立しました、そして各地の祭神入れ替えを行い、祭事を統一し、幽斎神事や神懸かりを廃止し、本格的な土着信仰と斎主家系の解体が始まってしまったのです。
これにより、幽祭神事は禁止となり昼間に行う祭事がメインとなりましたが、古き伝統を守る神社はこれに反対し神社庁と争いそうになりました!
そこで明治天皇が、古式を重んじる神社は「宗教」と言う形で存続し伝統を守る権利を与えました。
なので本来の民間信仰である神社が「宗教」になってしまったのは、これが原因です。
さらに戦後GHQの神道弾圧によって、神社に関することや、神道のみならず「道」が付くモノは全て弾圧され、神社で集会を避けるために各地に公民館が建てられ、神様の話をすることすら困難な時代がありました。
現在、華道や茶道そして柔道に武道さらに書道など様々な「道」が現存するのは、一度失われそうになったモノを民間の努力によって取り戻されたからです。
そのような歴史的背景から祖先崇拝という文化を失い、葬儀仏教が主流となりました。
では、先祖供養として残る我々の文化「祖先崇拝」は何処から始まったのでしょうか?
これは南朝に残る天皇秘儀によると古代天皇が行っていた「顕斎(うつしいわい)」という神事が民間化したものになります、これは目に見えない神を顕在化させるための神事です。
同様に民間では「祝の神事」として受け継がれ、神を降臨させるという神事は数多く残っています。
記述に残るところでは物部の伊香色男命が石上神宮で八十万の群神を祭ったことから始まり、言い伝えは記紀と旧事紀で弱冠違いもあり説明が難しいのですが、物部の八十万の群神と申しますように全ての民の御祖神をお祭りし。
天神地祇とは「あまつかみくにつかみ」と読み、あらゆる神を意味するとされています。
物部の言い伝えでは「天に居られる神と地に留まる神」がおり、祖先も幽世に居られる神もおられれば、我々の身近な守護霊のように地に留まる神として存在する神もいるということです。
先住民の物部は渡来人の僧侶から見れば蝦夷として蔑まれて呼ばれている人もいました、渡来人がいつの間にか日本(物部)の歴史を背乗ったため、初代天皇から40代天皇まで物部氏が統治祭祀の両権掌握者でありながら、古事記日本書紀では蘇我や物部は身内同士で争い自然淘汰したかのように描かれています。
その理由として、○〇権現とあるように比較的早い段階から仏教用語を用いなければならなくなったことや、蝦夷や卑弥呼等の名前から推測できるように蔑まれた漢字が用いられていることを考えても、古い時代から物部(先住民)が出しゃばらないよう何かしらの弾圧があったことには違いないでしょう。
その証拠に、神社の本殿は基本開かずの間となっていると思いますが、本来本殿には神を降臨した際の依り代として剣や鏡が納められ、さらに氏子の霊璽(れいじ)が納められていました。
霊璽(れいじ)とは亡くなった人の諡名(おくりな)を書くための依り代です
古神道では神は宇宙から飛来し飛騨高山の一位の木に降臨したと伝えられています、宮司はその一位の木で作った笏を使いますが、神を降臨させる時に用いた笏や銅剣を模したモノが霊璽(れいじ)となり、亡くなった方は子孫に会いに来るときにこの霊璽(れいじ)に降臨するということなのです。
この風習が仏教でも同じように用いられ笏や剣を模したモノが後の位牌となりました。
我々が知らないだけで、本来は魂に精通する場所が神社なのです。
我々だけでなく神職の人ですら、この事実を知らない人は沢山います。
なぜなら魂に精通する幽斎神事や神懸かりを廃止した神社庁が主体となって神職を組織化していますから、神職が学ぶことは昼の祭事の作法がメインとなっているのです。
昔の時代と比べれば、まるで無神論者が神職を行っているように見えるかも知れません!笑
なので神職であっても家ではお仏壇で祖先を供養し、根本的な祖先崇拝と自然崇拝の文化を継承していない人が沢山います。
日本人は根本的なことは語られず「見せながら隠す」といった文化が根付き、表面的な所では伝統を守っていますが中身は何も伝えられていないと言うのが現状です。
表面的な由緒だけでなく誰が何のために何を行ってきたか?
そこから探らないと真実は見えてこないと私は思います!
いつも最後まで読んで頂きありがとうございます
それと過去記事を読み返すと私って本当に文章下手ですね、今も読みづらいと思いますが、調べてきたことを一所懸命書いています、もし宜しければ関連記事もどうぞ。
<関連記事>
さて、日曜日なのでおススメ動画も貼っておきます!
伊藤貫先生のお話は本当に勉強になり、色んな動画の中で一番大好きで楽しみにしています。
今回も素晴らしい講座でしたが190年前に現在を洞察していた「トクヴィル」の話最高でした!
※前編26分辺りから抜粋
彼らは個人主義となり自分の生き方を見つけて、自分の気になる人とだけ交際して、社会の動きに関心を持たなくなる。
このような個人主義者は人々の公聴心公共に対する関心、公聴心を枯渇させてゆく、個人主義とは民主主義から生まれた生き方であり、平等主義によってより一層強化されていく。
トクヴィルによると、フランス革命前の階級社会において人々は自分の先祖を明確に覚えており、しかも尊敬していた。
そして彼らは自分の孫の世代のことを考えながら自分の人生を生きていた。
人々は先祖に対する義務と子孫に対する義務の双方を常に念頭に置きながら生活し、先祖と子孫のために自分の利益を犠牲にすることを厭わなかった。
しかし民主主義になってから人々は先祖のことなどあっさり忘れてしまった、そして子孫の世代のことも気にしなくなった。
そして彼らは隣人に対しても無関心になった、トクヴィルによれば階級社会があった時は国王から農民まですべての人が人間関係のネットワークに組み込まれていた。
しかし民主主義社会はこのようなネットワークを解体してきた、これは当然ですよね自由主義社会であり機会平等主義社会でしょう、そうするとネットワークはどんどん破壊して構わないと自由に動き回る。
人々はバラバラになって孤立し、疑いに対する義務感と期待感と責任感を持たなくなった。
民主主義社会で国民は「人生で頼りになるのは自分だけだ」という孤立感を抱くようになって緊密な人間関係を築くことが難しくなってきた、人間の心を大きくし、しかも思考を深めていくには人間関係がどんどんどんどん希薄になっていきますから、お互いに思考力を深めるとか、心を大きくするという機会も減ってゆく。
機会平等主義と能力主義を重んじる民主社会は、人間を自分の成功と自分の幸福にしか興味を持たない、孤独な競争者(Lonely competitor)に変えてゆくのである。
トクヴィルは、もし平等主義と機会平等主義が普遍的な思考になるならば、人々の思考力は狭くなっていくだろう、人々は自分の目の前の世界のことにしか興味を持たず、公共の事柄に関しては関心を失う。
人々は無気力無関心な態度で時代の流れに押し流されるだけとなり、奮起して社会の流れを変えようとして努力する人などいなくなる、それによって多くの人たちは孤独で矮小で不毛な人生を生きてゆくことになるだろう。
と述べている。
引用以上
トクヴィルの権謀主義の下で生きる無神論者の話や、マテリアリズムについても全て現在に精通していて納得の内容でした。
私は今回動画を観ながらトクヴィルが今生きていたらどのような政策に出ていただろうかと想像しました、伊藤貫先生も仰っているように人間には宗教が必要なのだと思うけれど、現在のように宗教観がこれだけギスギスしているとトクヴィルであっても上手くいかなかっただろうと思ってしまいました。
そうなると、やはり原点に還ることが大事なのではと思いました、日本人の歴史文化はそういった意味でも先祖供養として辛うじて祖先を崇拝することが染みついている!
人としての在り方を世界は民主主義の名の下で見失っているならば!
日本人なら、それを取り戻すための雛形になれるのではないかと私は思うのでありました。
そしてそのためには祖先崇拝というこの慣習を僧侶も勉強し直し、古来からの伝承を宗教宗派を問わず正しく受け継ぐことが大切だと思っています。
では良い日曜日を~♪