ナムジ

諏訪神社に行って来ました!

 

 

神社フリークの間でも、歴史オタクの間でも、天児屋根と猿田彦大国主は同一神というのは広がりつつあり。

 

実は私もこの考えには大きく賛同しておりますうさぎクッキー

 

ただ、私としては伊香色男も同一であると考えており、開化天皇は伊香色男と同一人物であると国造本紀の脚注から理解すれば、開化天皇がおられた高良大社、そして高良大社の次に古い諏訪神社が親子関係とした場合。

 

そのすべてが適合するのです!

 

伊香色男の畿内への移動、そして次世代の移動、国造りに東を開拓した我々の祖先たち。

 

最後に新潟の弥彦神社に向かった伊香色男は、豊かな田園風景を見渡せる山に眠り天香具山となった。

 

その移動と歴史は、神話と違い確実に確かな証拠が残るものです!

 

ただ、不都合なのは。

 

年代が浅いこと

 

そして物部であること

 

不都合なことは歴史の闇に葬られてしまうことです!

 

 

日本の神さまは宇宙飛来説があるというのに

 

それを認めない

 

アメテラスとスサノオが喧嘩したとくだらないことばかり

 

祝詞にはこう書かれている!

 

ニギハヤヒノミコト天磐船に乗りて、河内国の河上のいかるが峰に天降りましたまいしを、その後大和国山邊のこほりふるの高庭なる石上神宮に遷し鎮め斎奉り代々其が…』

 

と、なんとも天磐船で飛び回っていたようだ。UFO

 

祝詞だけではない!

 

ニギハヤヒは天磐船で移動されていたことが各地で残っている、東大阪市の石田神社にもニギハヤヒが塞ノ神として「物部の祖ニギハヤヒは天磐船に乗って降臨した」とあり、またその場所は古代祭祀場であったと石田氏によって伝承されている。

 

ちなみに石田氏の始祖が五十日足彦命(イカタラシヒコ)であるとするが、垂仁紀では五十日足彦命=五十日帯日子王は、春日の山君、高志の池君、春日部の君の祖とされる。

 

とにかく神が降臨すると伝えられている一位の木が久留米の諏訪神社の御神木として祀られている!流れ星

 

ちなみにニギハヤヒは調べによると世襲名であると、ムッチャン先生の話では萬旗豊秋津姫が最後の世襲者だと。

 

物部の伝承では伊香色男も伊香色女もニギハヤヒ世襲している、物部を排除した書物古事記に記される萬旗豊秋津姫は伊香色女のもう一つの名前かも知れない。

 

しかし、そこは踏み込んではいけないタブーが存在する!?

 

それは年代が浅く、物部である以上、権力者にとって不都合な事実なのである。

 

国造りの為に動いた先住民の多くは物部であった、というより日本人の多くは物部の子孫である。

 

後の渡来人が先住民の新潟に住む物部を蝦夷と呼んだことも記述に残っている、我々は物部の末裔だ。

 

なのに学校では現在の日本人は縄文人弥生人のハーフだと教えられ、物部や蝦夷をまるで他人事のように思って大人になっている。

 

我々の祖はニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日)であり、伊香色男が八十万の群神を石上神宮に祭った頃より現在にまで至る神事が継承され続けている。

 

そしてこの事実を表面化させたくないのが渡来人の家系である!

 

天御中主を始祖とする渡来人、有名な所では西園寺家や麻生家さらに白川家など。

神道大系などの書物の考察文献を読むと「なぜ時の天皇は渡来人に天御中主命を授けたのだろう?」と疑問を持つ文献が残っていたりする。

 

偶然にも明治時代の一神教政策によって、多くのニギハヤヒの神社の祭神入れ替えを行ったのも天御中主を始祖とする渡来人の末裔のようだ。

 

そして明治や先の大戦の裏で暗躍してきた連中も同じ、彼らは大陸起源説を中心に歴史を改ざんし、物部の資料が残る先代旧事本記を偽書として葬り続けている。

 

 

だから本当は我々の祖先はどのように国を作ったか、葬られた歴史を知る必要がある!

 

なんのために神社を建て
なんのために何を行ってきたのか

 

そこには人々の営みと暮らしがあり、そこに本物の歴史が残る。

 

歴史は権力者のための歴史ではなく我々の歴史だ、そして人々が織りなす美しい歴史こそが民族の成功哲学が存在すると私は考えている。

 


諏訪神社の植樹がとても上手なお宮でした、私も早く出来るようになりたいです!グッド!

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