88 明示

北海道の大病院さん頑張っていますね!

接種中止素晴らしいと思いますニコニコ 

 

 

お次はトランプ情報です!

 

こちらも素晴らしいニュースです、羨ましいくらいです、トランプは大きな勢力と戦っています、少なくともアメリカ国民にとっては誠実な大統領だと思います。

 

 

日本くらいじゃないですか?

 

ウクライナと同じ道に進ませようとしているのは。

 

それとも既に日本はDSの傀儡国家で、ウクライナの方が日本に追い付け追い越せとやってるのかも知れませんが!?

 

 

 ↑ね。

 

これを見たら分かるように、日本は古いウンコ、ウクライナは出来立てホヤホヤのウンコ、分かるでしょ。

 

イスラエルに先導されて、非常にムカつきます!

 

しかし、この絵の通りの所もあって、やっぱムカつく。むかっ

 

ウクライナと日本の共通点は、元々資源国であったのにも関わらず止められているところです。

 

おや?っと思うかも知れませんが、ウクライナは油田を止められ、日本は金銀の鉱脈の発掘を共産主義者によって止められています。

 

ウクライナは傀儡になって直ぐに天然資源の産業は閉鎖されました、農業の生産も工業の生産も徐々に経済困難に追いやられたのです!

 

故意にグローバリストがウクライナをボロボロにしたのです。

 

ウクライナが普通に活躍していれば、ヨーロッパの中ではドイツを抜きダントツの首位に立っていても不思議じゃない国でしたから。

 

天然資源もあって

農作物の生産量も多くて

工業も宇宙技術もダントツでした

 

知ってます?

 

グローバリストは優秀な国を崩壊させるのが好きですね、プーチンに歯向かったウクライナをこれ見よがしに落ちぶれさせたのです。オエー

 

同じと言えば日本だって本来は、天然資源国です!

 

だって当たり前ですよね、これだけの火山国ですから、金銀の鉱脈にメタンハイドレートが沢山沸いて当然なんです。

 

だから現実的に江戸後期から明治にかけて、博多商人の神屋家は世界第3位の金持ちだったのです!

それは銀山を所有しヨーロッパの通貨の材料として銀を輸出していたからです。

 

金も沢山出たから、明治元老の西園寺公望はヨーロッパのグローバリストと渡り合えたのです。

 

それだけではありません!

 

会津戦争の後、新潟府の知事になった西園寺公望佐渡の金山の所有権を親戚関係にある三菱に管理させ、後に日本全国の鉱脈を三菱財閥に管理させ閉鎖しています。

 

西園寺公望を保守だの何だの言う人がいますが、日本最初のグローバリスト、まさしく日本のロスチャのような存在です!

 

彼はロスチャイルドを見習うように、資源を枯渇したことにして紙幣支配の世の中を実現させ、右派と左派の相反する勢力を一族で作り上げてきたのです。

 

そんなことも露知らず、日本は資源がないとかばかり!

 

これが国家あげての最初の洗脳のようなものです。

 

日本は鉱脈以外も水や豊かな自然によって、現代社会では経済危機も食糧危機も起こるような国ではありません。

 

起こさせようと、政治が悪い方に動かそうとしていることに気づいて下さい。

 

このバカげた権威主義から目を覚まして下さい!

 

日ユ同祖論は嘘です!日本はイスラエルの文化ではありません!

 

日本の原住民は物部や蝦夷や土蜘蛛と呼ばれた人たちです、北朝の渡来人が権力を誇示するために作ったのが古事記日本書紀です。

 

渡来人や渡来人の僧侶の方が読み書き得意で、彼らが唐を意識して残した書物です、だから背乗った渡来人が先住民の物部の文化を抹消したことにも納得がゆきますでしょ。

 

そうして考えると記紀の不自然さも理解出来るし、なぜ先代旧事本紀偽書扱いされたかも理解出来ます。

 

日本最古の戸籍住民と国造本紀の史実が照合出来るんです!そうなると困るのは記紀で話を盛った一部の渡来系の末裔たちです。

 

だから160年前の記紀や歴史書の編纂が行われた時に、先住民の物部に確かな軍配が上がることを恐れた勢力が先代旧事本紀を焼いて抹消しようとしたのです。

 

西園寺家と仲良くしていた水戸光國とかね!

 

天照大神より確かな、日本古来の神ニギハヤヒ!このことを葬りたかったわけです。

 

だから明治に入って国家神道を立ち上げ、一神教政策を行い、ニギハヤヒの祭神入れ替えを行った。

 

その背後に明治元老の手引きがあったと言うわけ!上差し

 

江戸後期から天之御中主を宇宙創世の偉大なる神としてムーブメントを起こすけれど、天之御中主は古代の時の天皇が渡来人に祖神として与えた神様でもあるのです。

 

これが先代旧事本紀の国造本紀や氏姓の考察に記述が残っています、そのことを知られたくないから抹消して焼こうとされていたわけ。

 

何故なら、元老西園寺家も水戸光國も天之御中主を祖神に持つ渡来系士族だから、麻生家も白川家も同じ、北朝の渡来系の名門家が権力を誇示し続けたというわけ。

 

麻生家のように明治からの流行に乗って祭神を天之御中主にしているお家もあるけれど、、

 

たまにね普通の家なのに、立派な系図を作る業者に担がれて自惚れ系図を作る家があります。

 

ま、

 

だから北朝南朝は戦い

源氏と平家は三種の神器で争った!

 

古事記は嘘ばかり、縣犬養を渡来人扱いしていたり、それは国造として九州王朝からの移民をきちんと把握出来ていないから。

 

だからね

 

どんなに神話を神格化しても、日本の神道は自然崇拝と祖先崇拝です。

 

神社は地域の人々の祖神を祭ったものです、それが定着して土着信仰となった!

 

だから日本は歴史を改竄できても、歴史の真実を消すことは出来ません!

 

 嘘だと思うなら、現代語翻訳でなく古い先代旧事本紀と国造本紀を読みなさい、160年前の考察文献にも書いてあります。

 

歴史や年代も記紀を鵜呑みにしてはダメ、現存する歴史の証拠を繋ぎ合わせるのが本当の歴史でしょ。

 

歴女の友人から聞いた話だけど、やたら名門の武家の末裔として紐付けするテレビ番組や、有名な歴史上の人物と結びつけた系図を作る業者がいるようだけど、嘘つきめ!

 

およしなさい!

 

友人の歴女の家は、7000点に及ぶ古文書を寄贈したり、現在19代続く家だけど、本来其々の家に残る資料はそんな特別なモノはありません。

 

武将と繋がるなんて、何にも証拠がなく、ネットで由緒ドットコムで調べたことを、あたかも自分の家に関係するようにホラを吹いているようなもの!

 

証拠もないのに有名人と紐付けするなんて、御先祖からすれば「恥を知れ」と言われますよ。

 

逆に地名として名が残っていたり、そちらの方がよほど価値があります、武士なんて貧しかったんだから、立派な武士であっても功績を残しているとは限らない。

 

むしろ何も残せてない、そんなモノです!

 

最近、古代神話の解説動画もかなり面白くなってきたけど、日ユ同祖論に囚われないでほしいです。

 

そして日本の神様をリスペクトしているなら、神棚祀って祖霊舎作って、自分のルーツを明確にしてから神ネタして下さい。

 

安易に表面的な情報だけを集め、ズカズカと他人の神域に土足で踏み入れるようなことしてたらバチが当たります。

 

 

では最後までお読み下さりまして、ありがとうございました。

 

良い1日になりますように~♪うさぎクッキー

 

 

 『ジャカイモのチーズ入りキッシュ風』

ameblo.jp

天地人

日本の間違った供養

 
*先ず、供養は神道の継承文化であり仏教徒ではありません。お釈迦様は先祖供養をしろと経典に一言も書かれていません。むしろ目に見えない霊的世界に囚われず現世利益を求め救済の道を進めと残されています。
 
日本古来の神道が行ってきた霊祭神事を代行しているだけです。
 
墓に霊は存在しない。すべて阿弥陀さまが救って下さると言う教えは、まさに霊的世界を重んじてきた日本文化を根本的に否定している教えです。霊的世界の葬儀などを拠り所に生業を立てておきながら、真っ向から否定する。江戸将軍家が、神道から仏教に変えるために取り入れた代表的仏教思想、檀家制度や偶像崇拝が蔓延った年代から農民一揆など深刻な凶作との関連性は、神の祟りのような気がします。
 
 
*先祖崇拝は氏(苗字)のご先祖をお祀りし、ご祖神との万世一系を守るためのもの。
 
ご先祖を遡るとご祖神に繋ります、そのルーツを守る為に供養をするのです。確かに夫婦は合祀、祖霊拝詞には「父母の親と遡り~」と書かれていますが、基本苗字の一族の者の御霊たちとなります。
 
大陸では生命の樹のように、父系と母系をすべて広げた信仰が主流ですが、日本はご祖神と子孫を一筋の連綿と続く御霊の供養を目的としているので、母系の実家は基本供養致しません。
 
明治時代により、天照大神を中心に一神教化されました。日本を大陸に並ぶ国にするためです。今の神社庁創価学会の前身である大日本皇道立教会は、地方土着信仰などを一神教化しました。
代々世襲制だった神社の斎主家系を解体し、霊的幽祭神事を無くし、昼の祭事をメインにし、神職の学校を作り一貫した祭事を行うため地方兼任により神社管理を行わせました。
 
各土着の神々や、土着豪族の御祖神を天照一神教に変え、代表的な全国的に広がりのある、熊野信仰や八幡信仰の祭神も変えました。
 
江戸による仏教徒化と明治による一神教化によって、日本の自然崇拝と祖先崇拝の理念は消されてしまったのです。
 
すべて宗教化することによって、本来の教えがなくなり、新興宗教は信者獲得のために日本人が一番大切にしてきた御霊の拠り所を、教団の都合の良いように利用して来たのです。
 
 
*御経は僧侶にとって素晴らしいものであるが、御霊にとって喜べるものではない。
 
僧侶になるための御釈迦様の教えであって、霊的世界の道すじを繋げるモノではない。
 
法華経は在家の教えの一つに過ぎない、宗教団体にとって出家せずに取入れられる教養としての経に過ぎない。解釈自体、日蓮上人の意に反した信者獲得のために利用されている。
 
 
本来、神道の帰幽奏上には次のような内容になっています。
私は神職ではないので大まかに説明することをお許し下さいませ。
 
『産土大神さまのみ氏子であります○○○○は何時を一世の限りとして、○歳を持ちて現世を離れ、いま身退りました。 生と死、太古から避けて通ることの出来ない大きな道ではありますが、産土神さまの御分霊を分けて頂いて、この世のため、立派な神のみ子として生をうけました○○は、この世に在る時は神の正道をふみ行い、忠実に世を送り、心は直く、行いは正しくして、世のため人のために励んでおりましたが、人の世の習いとはいえ、思いがけない過ちを犯した罪穢れがありましたら、何卒その罪穢れを祓い浄めて下さい。故人がこの世に在った時に、善い行いは褒めて下さいませ。祓え戸の大神さまの「みちから」によって清らかになった故人の御霊は、元の畏こき産土大神さまの、身元に再び帰らせて頂きまして、今日から祖先の御霊の神々と共に、世を守り家を守る御座に列ねて頂き、永遠にその御霊は消え亡ぶることなく、遠く永く鎮まらせて下さいませと謹んで申し上げます』
 
日本古來からの尊い教えは、祖先崇拝により、この國と私たちが亡びることのない祈りなのです。
 
仏教徒にこのような釈迦の教えが、一言たりともありますか?
 
江戸と明治、そして現代において、先祖供養は形が変わり継承は出来ましたが!
 
この尊い教えを根本的に失って、生業として私腹を肥やした宗教家が人々を救える訳がありません。
 
"天祖咎めを承知で地祖を無下に押し込めて、子孫はかろうじて作ることが出来ても、不幸や咎の連鎖は子孫に降りかかる苦労となる"
 
子孫が笑顔で心豊かに暮らせるように御霊の御座を今一度取り戻し、日本民族繁栄の基盤である尊い教えを取り戻すべきなのです。
 
 
*この100年溢れ出した身勝手な信仰が、たくさん押し付けられました。
 
x偶像崇拝(足枷となる子孫が必ず出ます、オススメしません)
 
xお稲荷さん(人を呪う密教一世風靡した時代、インド破壊の女神であるカーリーの使い魔であるダーキニーがダキニテンとしてお祀りされる。本来の農耕の神が偶像崇拝化し、近年の日本社会のように農耕は廃れビルばかりが建つ。子孫トラブルや犯罪に巻き込まれる者多し、オススメしません)
 
xお大師信仰(男子孫や跡継ぎがいなくなる、男系の早死になどオススメしません)
 
x観音信仰(色情系のトラブル多しオススメしません)
 
x金の仏像(欲と魔が差し多しオススメしません)
 
x納骨堂政策(人の肉体である骨は地に還るもの、子孫地に足つかずオススメしません)
 
x散骨(森羅万象に神宿、神々に骨を撒くと言う行為、アナタは良くても残された子孫が報いを受ける!絶対ダメ)
 
他にも近年の身勝手な解釈による、身勝手な信仰はオススメしません!
人の弱さを繕うエゴが作り出したもの!
 
ハッキリと言います!
いつも苦労するのは子孫末裔です。
 
 
私は、シンプルで普通が一番だと思っています。
 
現実的に色々な産物を撤去することによって、本来の生きやすい流れが出る人ばかりです。
 
人の欲や足枷や、修羅の道に歩み続けたければ、どうぞアレコレ取入れて下さいませ。
 
但し、私には相談に来ないで下さい。
 
先祖供養をしろと言われて困る人、やらない人、アレコレ欲ばり取入れる人、我の王道によって、沢山の試煉と共に歩み続けられて下さいませ。
 
 
日本の叡知は人々が亡びないためのもの、民族繁栄の成功哲学が祖先崇拝なのです。
 
本当に幸せを望むのであれば、神さまやご先祖さまを喜ばせてあげて下さい。
 
神社で宮司祝詞を毎日あげるのは、神さまがお喜びになる言葉を捧げているのです。
 
そして喜びの波動を頂いて生活をするのが日本の暮しなのです。
 
神棚を設けるのは、そんな波動を共にするためです。
 
供養のために供える、塩や米や水、そして御神酒には色んな意味が込められてお祀りしますが、お盆にお供え物をたくさんするのは、御霊にお喜び頂いて、その喜びの余波を頂くためのものです。
 
ですから、出来れば神棚が一番良いですが、お盆の間くらいは「祖霊拝詞」←検索すれば沢山出てきます。
 
祖霊拝詞を奏上して差し上げて、近いご先祖から遠いご先祖まで、お喜び頂けるようにして下さいませ。
 
 
 
あらゆる宗教家を敵に回す覚悟で書きました。
 
 
ミチクサノミチノ  ソナワリテ
サチエルイマト ノタマエハ
オノオノミヲヤ  マツルベシ
ホスエサカエル  ソノミチハ
 
 
 

飛虎将軍

「飛虎」は、戦闘機を意味し、
「将軍」は、台湾では神として祀られる勇士への尊称らしい。

(茨城県水戸市出身の軍人杉浦茂峰さん)
戦時中自分の乗った飛行機が村に墜落するのを避けるがために、杉浦少尉は身を犠牲にして村を守りました。
 
この武士道ならではの精神を讃え、台湾の現地では飛虎将軍廊が設けられ、いつまでも慕われ大切に祀られているお話があります。
 
そして最後に台湾では
 
「杉浦少尉は命をかけ村を守った。
今度はわれわれが神となった少尉を守る」

これは飛虎将軍廟を長年管理している曹芳さんの言葉です。
 
 
と、凄く胸に突き刺さるお話でした。
 
東南アジアで日本の英霊を偲ぶ話は沢山存在します、とくに台湾は「我々は日本人だった」と熱く曾ての日本を誇り、今も尚親しんで下さる高齢者が多いです。
 
ところが戦後のGHQ神道を禁じられた政策により、今の日本人は「御霊」文化を知りません。
 
英霊に携わっている僧侶ですら靖国参拝に訪れません。
 
日本人が戦後、大きく変わってしまった解釈は「御霊」に対する価値観が皆無であることが理由の一つに上げられます。
 
戦後日本社会での意識は、死者は極楽浄土の道へ歩まれると言う仏教的思想です。
 
実は、古代から日本の文化は亡くなられた方の御霊は、私たちを見守る神のような存在となり。身近なところで肌で感じながら、子孫が人として踏み行いを間違わぬように生きるために、御霊を降臨して行ってきた作法の一つです。
 
降臨する場所が、神棚であったり、神社であったり、お墓であったり、依り代となるモノに降りて頂く考えから始まっています。
 
極楽浄土のようなファンタジーのような世界に行ってしまう考えではなく、人とあの世の隔離した考え方ではなく。
 
姿は亡くても身近に感じ「感謝しながら生きる」そういった生き方こそが日本の文化で培われたことです。
 
ですから、霊の存在を否定することは本来日本の文化を否定していることになります。
 
そして霊的存在を大切にする文化の上で、葬儀仏教が繁栄しておきながら、御霊文化を尊重しないことは、檀家のご先祖と子孫の大切な繋がりを断ってしまうのと同じことなのです。
 
ですからお通夜や葬儀では神式では、亡くなられた御霊が産土神の腹に還り、そして子孫たちを見守る御座におさまり、子孫たちを温かく見守って頂けるように祈りの言霊を奏上するのです。
 
では、日本の仏教は日本の神道と融合し、どのように変わったか?
 
むしろ霊的存在は、無縁仏などのように無念の思いや、そこに残る常念を浄化するための御経が発展しました。
 
明治以前や神道の残る戦前は、祖先崇拝である供養や御霊文化は民間で行い。
 
浄化や鎮魂を目的とするところに、古神道や修験、密教と仏教が存在したと言えるのです。
 
 
今の社会では、そう言った認識も薄れ、寺に供養をすべて委ね。
 
そして御霊文化自体に関心がありません。
 
ですから英霊に携わる人も、御霊に携わる僧侶ですら!
 
靖国神社に行くと言うことの意義が、分からないと言えるのではないでしょうか。
 
 
台湾の人たちの英霊を偲ぶ想いに負けないほどの日本人でありたい!と願うのであれば、日本の継承文化に対する認識を深めて頂きたいと思います。
 
 
 
 
 
以下は、神道の帰幽奏上の例の一つです、解りやすい言葉にしてあります。
 
民間の通夜で奏上されてきた一般的なモノです、日本の継承文化や日本の「心」を是非感じてみて下さい。
 
『産土大神さまのみ氏子であります○○○○は何時を一世の限りとして、○歳を持ちて現世を離れ、いま身退りました。 生と死、太古から避けて通ることの出来ない大きな道ではありますが、産土神さまの御分霊を分けて頂いて、この世のため、立派な神のみ子として生をうけました○○は、この世に在る時は神の正道をふみ行い、忠実に世を送り、心は直く、行いは正しくして、世のため人のために励んでおりましたが、人の世の習いとはいえ、思いがけない過ちを犯した罪穢れがありましたら、何卒その罪穢れを祓い浄めて下さい。故人がこの世に在った時の、善い行いは褒めて下さいませ。祓え戸の大神さまの「みちから」によって清らかになった故人の御霊は、元の畏こき産土大神さまの、身元に再び帰らせて頂きまして、今日から祖先の御霊の神々と共に、世を守り家を守る御座に列ねて頂き、永遠にその御霊は消え亡ぶることなく、遠く永く鎮まらせて下さいませと謹んで申し上げます
 
英霊の魂は、祈りによって救われるのです。
 
英霊の降りる場所が靖国神社です。日本
 

夏の風物詩

 

素敵な下駄を紹介します!

懐かしい下駄がそのまんま

 

二本歯の下駄は歩くとカランコロンと音が鳴る♪

 

夕涼みに響く帰り道

 

夏の音色と変わらぬ空

 

古き良き時代を和む

 

ただいま~♪

八咫烏

真ん中がない日本社会、右か左か、上か下か、悪か善か、日本の歴史か中国の歴史か?

 

古事記ウエツフミか?

 

ウエツフミって、解読も定かか分からない書物までぶっ飛んで日本を語るとかって、そのうちカタカムナやホツマも出てきそう。

 

だけど、ちょっと待って!

 

なんで中間を知ろうとしないの?

 

先代旧事本紀があるじゃないですか、ちょうど翻訳も進んでいるし、序文に書かれている偽書をほのめかす部分が懸念されるなら、実存する証拠と照合出来るモノを調べれば本物の歴史書であることが証明されますよね!

 

国造本紀の人の移動、クニノミヤツコとしての動きや、そして国造りに携わった人々がナント1300年~1500年前の戸籍と照合出来ます。

 

と、言うことはファンタジーではなくリアルな歴史書として認定出来ます。

 

それも古事記日本書紀よりもリアルな歴史書として唯一証明出来るモノです、ところがそれを認められない理由は!

 

まさに、年代。

 

調べれば調べるほど「え~っ!マジ~!日本の歴史って1000年くらいサバ読んでいるんちゃうん」みたいな。

 

困りますよね、世界最古を言い張りたい訳ですから国造本紀がいくら正しくとも認めたくないでしょうね。

 

日本だけでなく中国までサバ読み大好きなモノだから、きちんと調べられず人々の歴史は葬られたままになってしまう。

 

これが現実なんですよね~!

 

ホント困ったもんだです、ちなみに八咫烏のことも子世代の若者たちがメチャメチャ調べていて、本当に素晴らしいですね。

 

 
↑の動画は下鴨神社上賀茂神社・高鴨神社から深掘りしています。
 
アジスキタカヒコネと事代主と大歳神の同一の線は素晴らしいですね、古神道の先生方もヨカヨカと頷かれる内容です。
 
古神道の人は当然と仰ると思います、ちなみにスサノオニギハヤヒが同一として出てくる場合もあります。
 
正確に説明すると、ニギハヤヒを表舞台から隠すためにスサノオノミコトを前に出したと言う線もあると言うことです。
 
もう1つ言うとニギハヤヒ世襲名説があり、最初のニギハヤヒ世襲したのはスサノオ、その後に大歳神もニギハヤヒを襲名したと。
 
そして最後に、ニギハヤヒ世襲したのが萬幡豊秋津姫であると言うのが口伝です。
 
ちなみにアジスキタカヒコネ=事代主=大歳神と一緒に合祀されている下照姫=高照姫は「○○の妹」として紹介されていますが。
 
古代書物は「妹=妻(愛する人)」と言うのが本来の解釈です。
 
姉と言う解釈はなく、むしろ長女のようなお姉さんは兄として明記されていることもあります。
 
古代は娘であるのか、年配の女性を刀彌(トメ)と表記していたり、とにかく妻や愛する人を「妹」として書かれていたのが現代と違うところです。
 
妹だから兄妹と考えるのは、現代人のこじつけであり多くの古文書から、その時代の背景を學ぶことが大切だと思います。
 
私も随分この兄妹と言うニュアンスに囚われ歴史を紐解けなかったのですが、この兄妹と言うイメージを持つ時代の人の改竄も加わって、日本の歴史は余計にややこしくなったと言うのが私の見解です。
 
ちなみに神武も!?
 
磐余尊が何故か磐余彦に変わっているんです!
 
イヨがイワレヒコにチェンジしています、文献を素直に読めば、ある日ふと東に行くと思い立ったのは磐余尊であり、海路の道案内をしたのが椎根津彦(珍彦)です。
 
椎根津彦を紐解くと、こちらもニギハヤヒに関連します、こちらの詳しい話は今回は省きます。
 
磐余尊が何故イワレヒコに変化したのか?は分かりません。しかし、この神武の物語も数々の日本神話を1つの定説にしたのは160年前からです。
 
ちなみに日本の古代は末子相続です、長男世襲制は大陸思想(中国内陸部の騎馬民族)が日本に入った証拠です。
 
ここで下照姫の名前が高照姫と同一する理由を説明すると、末子相続のように末の子が気高い役割りを果たす、そのような印象から関連付けられたのか定かではないですが、神社でも上座と下座、上宮や下宮がある場合、重要性を重んじているのは「下」の方です。
 
要は末子でありながら重要な役割を果たすと言う、責任あるポジションが「下」に位置するという独特な考えだったのかと思います。
 
下宮で重要な神事をするというか、高貴な役割を示しているんだと思います。
 
 
ちなみに磐余彦については不思議ですね、重要なのは彦火々出見狭野尊の方の諡です。
 
こちらは表の記述であれば祖父の山幸彦になりますかね、同一の名前です。
 
もう1つの諡では若御毛沼(ワカミケヌ)または豊御毛沼(トヨミケヌ)と書かれています、読みは「ミケヌ」また口伝では「ミケーヌ」です。
 
ミケヌと同じ呼ばれ方の諡を持つのがスサノオノミコトです「神祖熊野大神奇御食野尊(カムロギクマノオオカミクシミケヌノミコト)」です。
 
ニギハヤヒの表記は饒速日と書かれますが「饒」は人々に豊かさを与えた者と言う意味もあります。
 
またニギハヤヒの表記に邇芸速日もありますが「邇芸」とは修練によって芸や文武両道など、また技術等をいち早く身に付けることを差し、それはニギハヤヒの得意体質やニギハヤヒを示しているのではなく、多くの日本人が飛躍的に向上し文化芸術などのモノが発展したと考えるべきかと思います。
 
国民の食べ物を豊かにした王であったり、国民のモノづくり等の技術の向上を導いた王であったと考えるべきです。
 
 
とにかく、妹なのか妻であるのか?など明確さもなければ、神話の神と人が同一した祭神文化ですので、あくまでも祭神は土着の氏子と祖先の文化で祖先の系統を知るためのモノと考えるのがベターです。
 
 
例え話で分かりやすく言えば「氏子の賀茂さんの祖先はアジスキタカヒコネと言う物部の子孫で、だから物部の神さまのニギハヤヒを祀っている」と考えるのが妥当です。
 
そしてそれが物部を前に出しちゃ役人に目をつけられるから、アジスキタカヒコネを事代主と言って祀ったり、大歳神として祀ったりしていると。
 
物部を前面に出せない理由が、歴史をややこしくしている理由です。
 
 
 年代の不都合と物部の不都合そして、個人的には神話は作られたモノで日本の神話であるかも証明出来ない。
 
なぜなら世界の神話と類似点が多すぎるから、しかし人々の歴史は世界で一番長い歴史の証明が出来る国。
 
それも庶民の歴史です!
 
証拠の出せる国、それが日本の素晴らしいところです、名家と呼ばれる畿内の藤原家よりも普通の庶民の方が確かな歴史があります。
 
それを知ることが大事です!うさぎクッキー
 

不可解な共通点

掘り起こさずにスルーしていた事柄が、どんどん明るみになっていますね。

 

 

さて、私が皆さんと同じことを書いても仕方がないので、ココは別角度で一連に精通する何か?について語ってゆきたいと思います。

 

私の場合、なぜ?日本人だけ先祖供養をするのか?
どうしてそんなことをするのか?
それはどこから始まったのか?

 

などを調べていました、すると祖先崇拝は神道が源流で、それこそ卑弥呼の時代から存在した日本の文化であることを突き止めました。

 

そこで疑問が湧きました!

なぜ仏教で先祖供養をしているのか?

 

本来なら神道であらねばならないこと、いつから仏教に変わったのか?

 

そこで必要に迫られたのは江戸後期から明治にかけての歴史のお勉強です!

 

江戸時代は、それこそ国家仏教と言えるような体制が出来上がり、江戸後期の檀家制度から強制的に檀家に入る家が増えました。

仏教に改宗してから三代先に途絶える家が次々に現れ、養子縁組などが増えたのがちょうど明治時代になります。

 

明治には国家神道が立ち上がり江戸時代に失われた風習を取り戻すと思いきや、なんと世襲制で連綿と続いたきた斎主家系(古来からの神事をする家柄)を解体し、土着信仰に上書きをするように明治政府に都合の良い一神教政策が行われました。

 

これにより、日本人の長きに渡る信仰が悉く破壊されたことは言うまでもありません!

 

この事実が分かった時に、不思議な点が幾つか浮かび上がりました、この国家神道を推進した勢力は大日本皇道立教会になります、創価学会神社庁の前身になります。

 

大日本皇道立教会は元々西園寺家が門跡寺で行っていた教育をベースにして立ち上げられていた組織で、門跡寺では維新のメンバーや当時ヤタガラス(自称のため本物の八咫烏かどうかは分からない)のメンバーも勉強に参加していたといいます。

 

そしてヤタガラス黄龍会総長の中山忠英を主流メンバーとして、この大日本皇道立教会が立ち上げられました。

 

私が強調しておきたいのは、こちらの教えでは天皇は韓国が源流説の一派であること。

天皇百済からお越しになったと言う考え、そして天之御中主神を祖として考える一派の方々になります。

 

明治の時代大本教でも天之御中主神が神々の原点とする考えが流行りますが、この時代の名門気質がこのようなシンドロームを生み出したのだと思われます。

 

天之御中主神を祖として考えるのは、渡来人に時の天皇が祖先崇拝のための祭神を与えたことから始まり、古文書には何故天皇は渡来人に天之御中主神を祖神とすることを許可したのか疑問視する声も書かれています。

 

しかし現代となっては、時の天皇の采配は素晴らしく、神話に出てくる最初の神を与えることで頂いた方も大切にしたくなります、それによって様々な祖神を持つ先住民と渡来人の違いが無いようで明確になります。

 

ところが明治にフワッと天之御中主神が流行したのは、時の権力者が持つステイタスとして認識されたからと思うのは私だけでしょうか?その証拠に、この天之御中主神から始まる名門家の筆頭頭は後白川家→親戚関係の百嶋家など、また西園寺家や麻生家、この時代の権力者は皆口を揃えたように天之御中主神から続く名門家として独特のセオリーを持っています。

 

そして、彼らの系図の原点の面白いところはイザナギイザナミプサンや韓国が発祥なんだそうで!さらに興味深いのは、秦の始皇帝である秦一族も藤原家も、東方イスラエルであり日ユ同祖論を重視する考えを持っています。

 

話を聞けば聞くほど無茶苦茶な神々の系図に、大陸のトンデモ説を結び付けています。

 

このようなトンデモ説が主流になった背景も調べながら、そして160年前の資料も既に間違った解釈が多いため、添削しながら調べ物を続けているのです。何故ならこのような解釈が神社フリークの間で蔓延し、九州から畿内に移動した豪族ですら渡来人扱いされた記述などを見ると、今の情報社会のうちに改正させないといけないと思うからです。

 

話は戻しますが、今回話題の統一教会の話もトンデモ説と似ていると思いませんか?

 

 

とくに↑の動画からスクショをしたコチラの内容を見ると、大日本皇道立教会で主流となった考え方が濃厚に出ているというか、八紘一宇や権威のための歴史、そして全ての原点の中心を朝鮮に置く考え方など、まるで大日本皇道立教会統一教会が同じように思えてしまいます。

 

ちなみに先代旧事本紀で物部の歴史を調べると、上記のような考え方を持つ渡来人が来る前の歴史から、様々な証拠が残っていますのでご安心ください。

 

先代旧事本紀偽書として抹消しようとしていた水戸光圀公も、北朝や明治に暗躍した勢力に縁のある御方と聞きます。

 

明治に北朝勢力が一神教政策を行ったのも、すべて日本の権威を我が物としたい勢力が歴史や様々な文化を改ざんし、先住民からの日本を滅亡させようとしていたのかも知れません。

 

南朝を掲げながら騙された九州勢の人たちは、明治からのグローバリストに騙されたのか?

それとも太宰府の時代からの渡来人の末裔なのか定かではございませんが、先代旧事本紀偽書とするエゴによって、本来のルーツも見失った哀れな現代人たちが迷い込む迷宮は、まるで日本の闇として今も君臨しているようです。

 

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命を紡ぐ縦の糸

<ご先祖供養の移り変わりについて>

日本のご先祖供養とは、縄文時代から続く自然崇拝と祖先崇拝を継承しています。

 

●なぜこのようなことを大切に行ってきたか?をご説明する前に、昔と今の違いについて説明したいと思います。

一般的な神棚です、御扉の中には天照大神氏神崇敬神社の三柱をお祀りします。
御扉は閉めてお祀りします、それは古代からの畏敬の念を現し「神は見たり触れたり出来ないもの」そう言った教えを継承することから始まります。



↑の写真は一般的な神棚の祭り方ですが、実はこの祀り方明治以前の祭り方と少し違います。
 



↑こちらの御神酒・お水・米・塩は、本来祖霊舎にお祀りされてきたものです。
 

●では、この祖霊舎とはどういったものでしょうか?

 

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実は、現在のお仏壇は江戸時代まで須弥壇(しゅみだん)として仏像や経典を安置し勉強するための、学習デスクのようなものでした。

 

霊的なことは神道で幽祭神事を行ってきたので、神式の祖霊舎が本来のご先祖の御霊をお祀りするものでした。

 

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祖霊舎の他に御霊代として、↑のようなものを神棚の一段下、または神棚の脇にお祀りするのが本来の形です。

では、御霊代とはどのようなものか?

霊璽(れいじ)をお納めするものです。
霊璽とは亡くなった方の諡名(おくりな)を書いて御霊代に納められていました。

江戸期の霊璽は基本的に白木板でした、そこに「○○○命」のような形で諡名(おくりな)が書かれていました。

 

※江戸期の諡名は名前だけのモノが主流です
 

 

後の時代に御霊代がお位牌に変わります。

 

※仏式の祀り方に変わった訳です

 

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霊璽(れいじ)や位牌の原形は依り代です。

●依り代とはどのようなものか?

神さまに降りていただく柱です。
昔、遙か昔から日本の人々は自然を愛し、巨石や滝、大きな木には神が宿ると考えられてきました。

神社の本殿には鏡や剣が祀られていますが、剣に神が降りて頂き神託を受ける。

そのような神事が古代から受け継がれました。

宮司さんも手に笏(しゃく)を持っています、古神道では神さまが降りて来られた木を使って、笏(しゃく)を作られてきました。

 

※飛騨高山のイチイの木に神様が宇宙から飛来したと言う説が古神道の伝承にあり、伝承通り笏(しゃく)はイチイの木で作られています。

人も亡くなったら神になると言う考え方から、神になった御霊(人の魂)があの世から降りて頂く際に必要な柱として作られてきました。

なので剣や笏を似立てたモノが位牌の原形になります。

亡くなられた方の御霊が降りて頂くモノですので、一般的には白木の物が使われましたが、時代により高価な装飾に変わりました。
漆を塗り金の装飾に変わり、金字の戒名を書く。

本来であれば、依り代の体を穢すことのは良くありませんので諡名(おくりな)は手書きで書かれていましたが、バブル時代から文字が消えない彫り物が人気になりました。

 

時代の移り変わりで

高価な装飾の為に金の文字を入れ→文字が薄れることから→文字を彫るようになる。

非常に合理的ではありますが、このような変化は日本人が身を着飾り、身体にピアスやタトゥーを入れたり、身を削る生き方やリストカットする人たちと良く似た変化です。
ちなみにバブル時代に小耳にした話ですが、位牌の彫師さんが「本当は体を穢すから良くないんだけどねー」って仰っていました。
 

需要というのは恐ろしいものです、まさに日本人が金に走り身を削る生き方に邁進する現代社会。
 

根本的な意味や理解があれば、安易に儲けに走ることなく、普通に継承出来たことです。

今一度そのことの大切さを知って頂きたいです。

●諡名(おくりな)と戒名について

 

諡名(おくりな)は原則的に亡くなった方の名前が分かり易く「○○○命」や「○○○命之霊」など書かれます。

「○○○大人命(うしのみこと)」老境に達した男性
「○○○刀自命(とじのみこと)」老境に達した女性

「○○○彦命(ひこのみこと)」壮年の男性

「○○○姫命(ひめのみこと)」壮年の女性

「○○○郎子命(いらつこのみこと)」幼少年の男児

「○○○郎女命(いらつめのみこと)」幼少女の女児

このような年齢に応じた敬称もあります。

基本的な考えは「誰でも幽冥の世界に入り神となり子孫は祖先を敬うこと」を目的として考えられてきました。

江戸期名前の無い女性や子供たちもいました、「○○○の妻」だけのものや、「童女」など、そう言った諡名(おくりな)もあります。



では、次に諡名(おくりな)から戒名への移り変わりを見てゆきましょう。

●戒名とは?

受戒し仏門に入った者に授ける名。法号法名。江戸時代は犯罪や不幸からの生き直し、又は人生をやり直す人につけられてきました。
また身寄りの無い無縁仏となった者に対して、僧が死者につける名前でもあります。

檀家制度や時代の流れにより、本来神式で行われていた祖先崇拝が仏式の先祖供養に変わります。

 

 

↑上記の写真を見てお解りのように、右ページの宝暦以前のモノは諡名(おくりな)でしたので年号の下に名前が書かれています。

左ページのように宝暦から戒名が使われるようになりました。
庄屋クラスの家は檀家制度により、知恩院など浄土宗などの寺に入り身分を誇示してきたのです。
 



 

明治時代に入ると、戒名の文字数が増えることが亡き人の徳となる風潮が流行り、さらに近年には仏壇には金の装飾により供養の価値が上がり、商業としてエスカレートしました。

●では、なぜ現代このような形になってしまったのでしょう?

明治の神仏分離政策から始まります

①神社の世襲制を禁止?!
これにより祖先崇拝は、地域ごとの継承が絶たれてしまいました。

なぜなら神がかりなどの神事や信仰を廃止し、幽祭神事より、昼の祭事を中心とした神事に方向転換したからです。
 

地域によっては神社の本殿に地域の方々の御霊代が祀られている神社もありました、この時代から幽祭神事を重んじていた神社は神社庁に帰属せず各々古代からの祭事を続けました。

※江戸神仏混仰の時代、葬儀の際その土地の慣習により違いがありますが。
死者が出ると帰幽奏上を一刻も早く奉仕しなければなりません、斎主(神職)が葬儀を進めて行いますが、場所によっては氏子総代や僧侶が斎主として執り行っていた場合もあります。
それだけ身近に行われたと考えられます。


②寺を世襲制に変えた!
本来僧侶は解脱の道ですので江戸時代まで結婚は出来ませんでしたが、世襲制により結婚し寺を守るようになったのです。
寺は地域の教養の場であり、役所の役割もありオールマイティーな場でもありました。
 

明治に入り神道から離れてしまった人々の救済のため先祖供養を執り行い、その頃から葬儀や祖霊祭を法事など仏式に定着したのです。

 

一神教への変化や、神仏分離の混乱の中で多数の新興宗教が増える!

本来神道は宗教ではありませんでした、土着の継承文化の一つです。
 

古代から続く家々を調査すると、新天地で先ずは一族を守る御社を建てそこに村を作りました。
それぞれの御祖神をお祀りし、子孫繁栄を願うためです。

ですから生まれた場所に産土の神が在られ、一族のルーツを繋ぐ御柱が御祖神であり、御祖神からの継承を守ることで家々は栄えてきました。

家の子孫繁栄の基軸として信仰が残っているのです。

 

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